失敗させる勇気

アドラー心理学のベストセラーに「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」という本がありましたけど、この記事はまったく関係ありません。

僕の本職は理学療法士といって、病気やケガで身体に障害を持った人にリハビリをする仕事です。順調に回復する方もいれば、病気や年齢の問題で、今までできたことが徐々にできなくなっていく方もいます。進行性の神経の病気や、認知症、病気自体が重症で回復が見込めない方などがこれにあたります。

徐々にできなくなっていくにしても、車椅子など福祉用具を使ったり介護を工夫したりして、できるだけ前向きな人生を送れるように、支援していくことが大切です。

さて、そこで問題になるのですが、治療方針において医療従事者と本人・家族の意見が合わない時があります。どちらも一理ある時はもちろん本人や家族の意思を尊重するだけの話ですが、時には明らかにそれは止めた方が良いのではないか、という希望を本人や家族が示される場合があります。

このような場合、医療従事者でも時に考えが異なります。僕の場合は、すぐに生死に関わる選択でない限りは、しっかりメリット・デメリットを説明しつつ、最終的には本人や家族の意思が尊重されるべきだと考えています。

人生を他人が選択するようになったら、すでにその人の人生ではなくなってしまいます。どのような事態であっても本人(本人に判断する能力がない場合は家族)が人生の舵取りをするべきだと私は思うのです。

病気や高齢者のことだけではありません。親になると特にそのような悩みが増えるような気がします。自分が考えてきた進路以外を子供が望んだら? 到底幸せになりそうもない相手と子供が結婚を望んでいたら? 明らかに失敗しそうな事業を子供が考えていたら? と悩みは尽きないように思います。

程度の問題はありますが、私は 失敗させる勇気 というものが必要に感じています。親から見て、子供が成人する前は特にそれが大切に思います。

子供が失敗する可能性を親がことごとく事前に摘んでしまうと、子供は経験を積むことができません。失敗しないというのは、親にとっては良いことのように感じるかもしれませんが、子供がこれから過ごす長い人生を考えると、むしろマイナスでしかありません。自分で決断をせずに良い結果だけ与えられた人間が、その後の人生を自分で作っていくことができるでしょうか。

子供が取り返しがつかない事態になることは避けなくてはいけません。そのために親の見守りや時に手を差し伸べることは必要です。しかし、それ以外は手を出すべきではないと僕は考えています。それは子供以上に、親に決意や忍耐が必要です。それゆえに、失敗させる「勇気」なのです。

人の自立を支援したり成長を助けようとすると、このような視点が必要になってきます。最近は何かにつけて、危険や失敗を避ける風潮にあるように思います。危険や失敗により取り返しがつかない事態になることもあるので、一概にそれは否定できないのですが、そのことにより、人間の可能性がどんどん小さくなっていくような、そんな気がしています。

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兼業作家。2023年4月『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』(国書刊行会)上梓。歴史全般が興味の対象ですが、最近は大正~昭和の文化、芸術、演劇、映画、生活史を多く取材しています。プロフィール写真は愛貓です(♂ 2009年生まれ)。よろしければTwitterのフォローもお願いします。(下のボタンを押すとTwitterのページに移動します)。