横山光輝のマンガ『項羽と劉邦』の中の一節です。劉邦が項羽との戦で敗走して、なんとか配下である大将軍・韓信のもとにたどり着きます。軍中の韓信に会いに行くと、天幕の中で二日酔いで寝ているところを発見します。劉邦は援軍を要請していたのに、当の韓信は寝ていたのです。
劉邦は激怒して、韓信を追放しようかと言い出し、それを配下が諌めます。韓信には多少問題があるかもしれないが、それ以上に才能がある将軍である。それを追放しようと言うのは、美味しい木の実があるのに、わずかな虫喰いがあるからと言って捨てるようなものだ、と。納得した劉邦は韓信の追放は取りやめます。
多くの迷いはこの故事によって考えることができます。
きれいな美味しい木の実だったら悩む必要はありません。しかし、人生にはそんなにうまい話はなかなかありません。木の実の傷んでいる部分や虫喰いの部分、つまりデメリットを見て、食べるのか捨てるのか考えます。
すごく美味しい木の実でも捨てざるを得ない時もあります。木の実であれば、傷んでないところだけ切り取って食べれば良いのですが、現実での悩むような事象では、傷んでいる部分も一緒に食べなくてはいけません。デメリットも受け取らないといけないのです。
少し状況が異なりますが、すごく美味しい木の実でも、ほんの少しの問題があるだけで、捨てなくてはいけない場面もあります。
「泣いて馬謖を斬る」と言われるような状況です。
中国の三国志の時代。魏、呉、蜀の3国で中国を分割して治めていました。その蜀が魏に攻め込みました。蜀を率いるのは天才軍師と誉れ高い諸葛亮孔明です。蜀は快進撃を続けます。そして街亭(現在の甘粛省天水市秦安県)という場所で蜀軍と魏軍は対峙します。
その時、孔明は馬謖という人物を大将に抜擢します。その優れた才能に孔明は高い評価をしていました。しかし、先代の主君である劉備玄徳は馬謖を信頼せず「決して重く用いないように」忠告していました。
軍を率いた馬謖は、孔明の「山の麓に陣を構える」という指示を聞かず、山頂に陣を構えました。兵法で高い位置に配置した軍勢の方が有利とされているからです。副将は指示通り、山の麓に陣を敷くことを進言しますが、馬謖は笑ってこれを聞きませんでした。
かくして魏軍は山頂に構えた蜀軍に対して、水路を絶って持久戦を選択しました。給水が途絶えた蜀軍は統率を失い大敗します。
孔明は軍規を乱した罪が重いとして、馬謖を死罪にします。そして、亡き君主の言葉を思い出して自分の不明を恥じるとともに、馬謖の死に涙したと言います。
こちらも横山光輝の『三国志』で読むことができます。
この後も蜀軍は何度か魏に侵攻しますが、この時が最もチャンスであったと言えます。結果的に千載一遇の機会を馬謖によって失ったと言えます。
孔明としては、優れた才能を持つ馬謖を殺したくはなかったでしょう。しかし、彼を特別扱いにしては軍全体の規律が乱れます。
この時の孔明の判断を「軍規という小さなことで、得難い優秀な人材を失くしては、大きな目標が遂げられるはずがない」という批判もあります。
馬謖はとても美味しい木の実であったと言えるでしょう。しかし、軍規という問題があったばかりに捨てざるを得ませんでした。人によっては「小さな問題」というような木の実の傷みでした。
この判断の是非はわかりませんが、全体の流れを見て、どんなにメリットがあることでも手離さないといけない時があると、この故事からは教えられます。
それは孔明が涙したように、断腸の思いで決断しなくてはいけないでしょう。
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