マンションで暮らしていると時々セールス(訪問営業)の方が来ます。インターネット関係、新聞、布団、健康食品、不動産など商品は様々ですが、1回も買ったことがありません。こんな売り方して買う人はいるのかな? といつも疑問に思っていたのですが、ある時にその考えを改める出来事が起こります。
それは布団のセールスが来た時でした。実はその時、自分の部屋の布団はボロボロだったのです。あまり興味のある素振りを見せて、しつこくされるのは嫌だったので、どんな商品を勧めるのか聞いていました。その会社は主に布団のクリーニングをしている会社で、古い布団でもクリーニングをすれば新品同様に回復するというのが売りでした。1回のクリーニングが1万円とのことで、ちょっと値段的に高いと感じました。そこで、布団の販売もしていると言うので値段を聞いたところ「うちは良いものを扱っているので10万円以上しますよ」と答えました。そこで僕の興味は全くなくなりました。
たぶん、お値打ちな布団を扱っていれば僕は興味を示したでしょうし、それにクリーニングのサービスを割引セットにするなどすれば、考えたかもしれません。本当に売る気があるのかな? と感じるくらい、かゆいところに手が届いていませんでした。
しかしこの時の経験で、世の中にはサービスを必要にしている人が確かにいて、訪問数をこなせば、そのような人と会う可能性もゼロではないと考えるようになりました。
それにしても、訪問営業している方の立場になって考えると、すごい精神力だと感心します。ほとんど「NO」を突きつけられるわけで、あからさまに不機嫌で攻撃的な人もいるでしょう。よく「自分自身が否定されているわけではない」という言葉を聞きますが、それにしても僕だったら気持ちが折れてしまいそうだと思います。
それに「売ることに罪悪感を覚えないのか?」という疑問も感じます。僕は理学療法士として病院勤務していましたが、そこに実習に来る学生の中には社会人を経由して専門学校に入り直した人も何人かいました。その中には元営業マンという人もいました。なんで辞めたのか聞いてみると「自分が良いと思えないものを売るのに疲れた」と話していました。世の中には星の数ほど商品があって、他よりも安くて質の良い商品など簡単にはできません。そんな商品があればそもそも営業なんてしなくても売れるはずです。放っておいたら売れないから営業が必要なのです。
本屋に行けば、営業のテクニックに関する本が山ほど置いてあります。それは買うように誘導するテクニックであって、表向きはきれいなことが書いてあっても、結局のところ、上手く丸め込んで相手の財布からお金を引き出す行為でしかないと思っていました。他と比べてそれほど優れているわけでもないのに、さも良い商品のように説明したり、相手の人の良さにつけ込んで買わせるような、営業に対してそのようなネガティブなイメージが僕の中で作り上げられていました。
なぜ、そんなことを考えるかと言えば、僕も会社勤めの他に副業で整体業をしていて、「売る」という行為はいつも課題であるからです。僕は整体をしながらも、どこかで「他人からお金をもらう」ということに罪悪感を感じていました。
世の中で営業の神様のように言われている人たちはこのような考えを一笑に付すのでしょうか。「売る」という行為についての答えを僕は探していたのです。それは切実でした。
今回、取り上げる「なぜハーバード・ビジネス・スクールでは営業を教えないのか?」という書籍は、いつの間にか僕の本棚に並んでいて、いつ買ったか覚えていないほど放置されていました。ある時、ふとページを開いた僕は数行読むうちにその内容に引きつけられ、むさぼるように読みました。夜寝る時間を削って読み続けました。それは久々の経験でした。おそらく書いてある内容が持ちつづけていた疑問とぴったり一致して共鳴したからだと思います。
実際に僕が読んだ本には付箋が山ほど貼り付けられています。著者のフィリップ・デルヴス・ブロートンは元新聞記者で、イギリスのデイリーテレグラフ紙のパリ支局長も務めた人物です。2006年にハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得していて、本書のタイトルもそこに起因しています。原題(イギリス版)は「The Art of the Sale(営業の技法)」、アメリカ版は「Life’s a Pitch(人生は売り込みだ)」となっていて、日本語版が少し異彩を放っていることが分かります。イギリス版やアメリカ版のタイトルでは、多く並ぶ営業関連の本の中で目を引くのは難しいので、このようなタイトルにしたのでしょう。
この本は著者が世界中の一流と呼ばれる営業マンと会いに行き、観察し対話することで、その営業の手法や哲学を探究するという内容です。ただノウハウをレクチャーしてもらうのではなくて(ノウハウも読み解くことはできますが)、その営業マンが売ることに対して、どのような考えを持っているのか探ることで、営業の本質を浮かび上がらせようとしています。
一流の営業マンと言っても様々なタイプがいて、著者は取材を申し込む立場でありながらも必ずしも礼賛する姿勢ではなく、時に鋭くその本質を浮き彫りにします。
オークス教授から見れば、岡さんの言動こそ、自己欺瞞ということになるだろう。台本を読むことで、岡さんはこの仕事の倫理を深く考える義務から逃れている。俳優になり切れば、自分の行動に責任を持たなくていい。(P125)
現世での成功にはつねにもっと複雑なやりとりが絡む。盗人や偽善者や裏をかく人間が栄え、正直者や真っ当な人間や勤勉さは日の目を見ない。(P307)
セールスは、道徳観の対立を伴う。その対立のなかで、人は自分を見直し、恐れを克服していく。(P330)
著者の姿勢は「売ること」に対して罪悪感を持っている人たちの気持ちを代弁しています。その人たちというのは、おそらく善良で倫理を大切にする誠実な人たちだと思います。次の言葉にその姿勢が表れています。
それに対するひとつの答えが本文中にあります。
「ひとつの答え」と書いたのは、この書籍には多くの示唆に含む箇所があり、人それぞれで得るものが違うと考えられるからです。単純にノウハウを考えるための本とも受け取れますし、営業という特殊な環境下で浮き彫りにされる人間模様を描いた本とも捉えられます。僕は営業の本質を鋭く書き切った部分に最も感銘を受けました。終章のP355~367の部分です。その答えをネット上に書くわけにはいかないですし、もしその答えだけ書いても心に響くものはないかもしれません。
どちらかと言えばこの書籍は、著者や僕のように営業にネガティブなイメージを持っている人の方が、より心に響くように思います。読後にネガティブなイメージがなくなるかと言えばそうではありません。ネガティブもポジティブもただの捉え方であって、本質を知れば中立に近づくのではないかと思います。
僕にとってこの書籍は、営業というものをより考えるきっかけになりました。それはつまり、自分自身というものを深く考えることに他ならないのです(この意味については書籍を読んで考えてください)。
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