患者さんの部屋でリハビリをしていると、ラジオから村下孝蔵さんの歌声が聞こえてきました。
村下孝蔵さんは1980年から亡くなる1999年にかけて活躍したシンガソングライターで、大ヒットした「初恋」(1983年)の他、「踊り子」「ゆうこ」「陽だまり」などの代表曲があります。
パーソナリティによると没後20年とのことで、次々に流れる歌を聞いて、懐かしい思いに駆られました。
村下さんの歌の特徴は、そのきれいなメロディー、歌声と、日本の原風景を思い出させるような歌詞です。
落合昇平著「村下孝蔵 STORY 深き夢歌、淡き恋歌」(2008年 ソニーマガジンズ新書)に書かれている内容によれば、歌手生活の後半である1989年からの10年間は、CDの売り上げが落ち込みを見せて、本人もそれを気にしていたと言います。そして1992年、村下が「やっと納得する作品が出来た」と語ったのが「ロマンスカー」という曲でした。しかし、それも売れ行きは良くありませんでした。
自分が渾身の力を込めて作った曲が受け入れられなかった落胆はいかほどだったのでしょうか。
僕は高校時代に、ラジオで偶然に「初恋」を聞いて、その歌声とメロディーに感激して、以来よく聞くようになりました。しかし同級生に話をしても名前を知っている人はいませんでした。亡くなる前でしたが、世間的にはすでに過去の人になっていたのかもしれません。
僕の好きな村下孝蔵の曲
初恋
村下孝蔵と言えばこの歌というほど有名な歌です。僕がはじめて聞いたのは20年以上前ですが、その時ですら、どこか懐かしさを感じました。
この歌詞に象徴される淡い気持ちに当時、おそらく多くの人が共感したに違いありません。オリコンチャート3位の大ヒットになりました。
メールでデートに誘ったり、時には告白をするような時代には、もはや見られなくなった光景なのかもしれませんが、その純粋な気持ちは現代も共通だと想うのは僕だけでしょうか。
踊り子
「初恋」も決して明るい曲調ではないのですが、「踊り子」はさらにシリアスな曲調が特徴的です。
恋人同士の別れる直前の感傷的な心を描いた曲です。「初恋」が多くの人が持つ思春期の感受性を歌い上げて、それをステップにして未来につなげる前向きさを感じるのに対して、「踊り子」は別れるその時の、どこか自責の念を含めた迷路のような感情を感じさせます。踊るようにその悲しさのループからいつまでも逃れられないような、そのような感覚を受けます。
以前、動画サイトでコンサートのリハーサル中の村下孝蔵さんがアップされていたのですが、その時に歌っていた「踊り子」が個人的には1番好きです。理由はわからないのですが、近代的な伴奏が付いてテンポが良くなったものよりも、ギターと最低限の伴奏で歌った方が、よりこの曲のきれいさが出るような気がするのです。
ゆうこ
ある人(おそらく男性)から「ゆうこ」という女性を見つめた視線で詞が歌われます。おそらく関係はないのでしょうが、ばんばひろふみが歌った「SACHIKO」というヒット曲と構図的には一緒なのではないかと思います。
「SACHIKO」がその女性の背中を押すような歌の終わりを迎えるのに対して、「ゆうこ」は「言い出せない愛は 海鳴りに似ている」と、愛情を伝えたいのだけど、伝えられないという、あくまで自分の内面の葛藤に終始していて、ゆうこに対してはただ見つめるだけです。そのようなところが村下孝蔵らしいと言えば、村下孝蔵らしい曲です。
陽だまり
村下孝蔵にしては珍しく明るい曲調で、詞にも前向きさがあふれています。アニメ「めぞん一刻」の主題歌にも使われていて、本作品と村下孝蔵の両方のファンであった自分としては、なんとも嬉しい組み合わせでした。
他の曲と同じく、この歌の登場人物はまだ相手に愛を打ち明けていないようなのですが、とにかく希望に満ちあふれていて、明るいメロディーと前向きな詞が、こちらの気持ちも高揚させてくれます。
「ひらひら」「きらきら」という擬音を上手く音楽に取り入れているのも印象的です。
明日あればこそ
村下孝蔵の作品の中でも、特にテンポがゆっくりな曲です。人生に悩んでいる人に対して静かに語りかけ、応援するような曲です。
僕が持っているCD選書の本曲の案内には「『ナナカマドの挽歌』を読んで」という副題が付けられています。「ナナカマドの挽歌」は秋庭ヤエ子のノンフィクションです。この書籍を読んでなにかインスピレーションを感じたのかもしれません。
「ナナカマドの挽歌」との関係については、「村下孝蔵ホームページ」でも触れられています。それを読むと、ちょっと複雑な事情があるようにも思います。
しかし、そのような事情は関係なく、この作品が力強く人々を励ましてくれる良曲であることは間違いありません。
未成年
村下孝蔵にしては珍しいロック調とも言える曲です。「深い嘘にうなされ 浅い夢から醒める 忘れたいことばかり 頭の中を回る」という歌い出しから始まり、「心の片隅に 想いは凍りつき 言葉にはならない 誰か溶かしてくれ」という叫びに帰結します。
他の歌詞を読むと、この曲も間違いなく恋愛のそれなのですが、何の意識もなく聴いていると、そういう印象を受けなくて、創作の壁と戦っている苦悩のようにも聞こえるのです。
メロディーが村下らしくないからか、あまり取り上げられることが少ない曲ですが、個人的には印象に残っている作品です。
ロマンスカー
前述しましたが、自信を持って世に送り出したものの反響なく終わった、背景に悲しさも含んでいる曲です。
このラストに向けて流れる軽快で美しいメロディーが印象的で、今聴いても良い曲だと思います。
詞を読むと、別れた相手を思い出している内容なのですが、曲調が明るいので、あまり暗い印象を受けません。むしろ詞を理解していないと前向きに聴こえるように思います。
僕が村下孝蔵を思い出す時はまず、「初恋」とこの「ロマンスカー」です。
村下孝蔵に関する一考察
数々の名曲を生み出してファンも多い村下孝蔵ですが、デビュー3年目の「初恋」の大ヒットを超える作品は生み出せず、その音楽家生活の後半生には強い苦悩もあったように思います。
僕が数々の村下作品を聴いて感じるのは、これほどまで個人の感性そのままに曲が出来上がっているのは珍しいということです。
「ゆうこ」のところでも少し触れましたが、ばんばひろふみの「SACHIKO」の歌詞が女性の背中を押し、勇気付けるラストであったのに対して、「ゆうこ」はただ悩み、見つめるだけです。作品として完成させるのであれば、違った内容にすることもできたと思うのですが、良くも悪くも村下の生き方、感性そのものが曲に強く反映されているように思います。
きれいな歌声、美しいメロディーは大ヒットの要素があったように思いますが、歌詞においては村下の感性が時代と合わなかったのではないかと僕は考えています。その点は、同じような恋愛の感傷的な曲を作っていた来生たかおが、姉・来生えつこなど優れた作詞家の力を借りていたのとは対照的です。
村下の曲は、聴くと彼のずんぐりむっくりしたギターを弾いた姿が頭に浮かんできます。それは他の歌手の誰よりも強い、村下作品の特徴に思います。個人的には村下孝蔵の曲は余計な楽器を付けずにギターと最小限の伴奏で歌った方が、その切実な思いが伝わるように僕は感じています。
作品たちは村下の純粋な分身と言えます。僕は村下孝蔵を思い出す時、「初恋」よりもその人生の象徴とも言える「ロマンスカー」を聞きたくなるのです。
没後20年の企画として「初恋物語」というCDが発売されました。今回、紹介した曲のうち「明日あればこそ」「未成年」を除く「初恋」「踊り子」「ゆうこ」「陽だまり」「ロマンスカー」が収録されています。ここでは取り上げませんでしたが「少女」や「かざぐるま」も好きな曲です。興味がある方はぜひ聴いてみてください。
「未成年」の収録CDはこちら
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