年に一度、「シャンソンコンソール レ・ザンファン」というコンサートがある。「レ・ザンファン」とはフランス語で子供たちという意味で、宝塚歌劇団出身で、シャンソン歌手であった深緑夏代の愛弟子たちが集まって歌う、彼女の追悼公演である。
深緑夏代には9歳年下の妹がいて、千秋みつるという。今年で95歳であるがまだ健在で、一ヵ月に一度、新宿シャンパーニュという老舗シャンソニエで歌っている。
この千秋みつるも毎年、この「レ・ザンファン」には出演している。足腰が弱り、関東から大阪への移動は年々困難になっている。毎年、コンサートが終わると「今年で最後」と言うのであるが、決まって翌年には参加することになっている。主催者側としても、深緑の門下生は高齢化が進み、初期の弟子たちはステージに上がることが難しくなり、千秋さんには唯一残された支柱的な意味合いもある。
そして、今年も千秋さんは何とか新幹線を乗り継いで、新大阪に到達して、たくさんの人たちの手伝いを受けながら、ステージにたどり着いた。
「レ・ザンファン」は深緑門下生の中でも、関西方面の教え子が揃う追悼公演で、宝塚歌劇団出身や教室出身の歌手がそれぞれ混成して参加している。深緑夏代の教え子でシャンソンという以外は制約もないので、様々な趣向を見ることができて、楽しいコンサートである。
亡くなって15年以上過ぎた深緑だから、その弟子たちも相応に歳を重ねている。老練な技巧だけでなく、それぞれが人生になぞらえて、自身のシャンソンを育てている。
例えば、宝塚歌劇団の出身者は、千秋みつる(32期)、風さやか(48期)、星奈佐和子(55期)、萬あきら(56期)と4人いたけれど、派手な衣装で舞台を自らのショーのようにできる風さんと、講師として多くの教え子を育ててきた星奈さん、長年歌劇団に所属して渋い脇役で活躍してきた萬さんでは、そもそも「色」が全く異なる。
他にも、梨里香さんは鮮やかにフランス語で歌い、盲目の歌手・豪佑樹さんは高らかで豊かな声量で歌い上げて、他にも全員を紹介できないが、次々に現れる新たな個性に目が離れないステージだった。
深緑は生前に「シャンソンは2分半(あるいは発言によって”3分”)のドラマ」とよく形容していた。また「シャンソンとは自由なもの」ともレッスンで話していたという。
弟子たちは師の教え通りに歌い続けている。
座席でも後ろから、「宝塚やめてから云々」「まだ、風さんあんなに頑張ってはる」「ケイさん(萬さんの愛称)、若いなー」など、歌劇団出身者らしき声も聞こえて、空気のように宝塚出身者が近くにいるのもまた関西らしいと、その雰囲気に静かに身を委ねていた。
終演後、ロビーで出演者が出迎えて、来客者と色々と話している。
千秋さんも萬さんもいなかったので、挨拶したかったが、ホテルに引き上げることにした。開演前に楽屋に案内してもらおうとしたのだが、着替え中ということで引き返していた。楽屋に断りもなく入っていくというのは、自分のような舞台未経験者にはハードルが高く、この時も「まあ、出演者同士で、話もあるだろう」と、深く考えずに会場を後にした。

新大阪駅に着いた頃、後から千秋さんの電話を通じて萬さんから連絡があった。
後から話を聞くと、来るはずの自分をずっと待っていたのだという。千秋さんは「萬ちゃんが千和さんはいつ来るのかと何度も聞くのね。なんで、あんなにムキになって言うのか、私には分からなかったけど」と教えてくれた。
去年の秋、萬さんに電話で深緑夏代について、電話でお話を聞かせてもらった。その時に、「レ・ザンファンの時、たぶん私が車で千秋さんをホテルまで送るから、一緒に乗って行ってください」と萬さんは言っていた。そのことは覚えていたが、半ば社交辞令的なもので、居なければいないで気にせずに過ぎるものだと思っていた。
過去、何人かのOGの話に萬さんは登場したが、いずれも大らかな人柄を感じさせるものだった。先輩の家に泊まる時、「私はここでいい」とソファで寝たり、かと思えば、その先輩が困っていれば自分の用事を脇に回して世話をしたりもしていた。
去年も萬さんは千秋さんを車で送っている。コンサートには知人も来ていて、「私にも知り合いとかファンがいるから」と言いつつも、結局は千秋さんを送っていた。
約束をしっかり覚えていて、律儀にそれを守ろうとしてくれていて、それが嬉しかったと同時に、軽い気持ちで会場を後にしたことを反省した。
新大阪駅で合流することになり、萬さんと、同じく深緑の弟子である河村さんと、千秋さんと四人で駅構内のレストランで食事することになった。
人気の店らしく、店の外で待つことになった。萬さんと横に並んで座ると「今日は今ひとつなものを見せて……」と言った。最近は仕事の都合でジャズに時間をかけていて、今日は気持ちがこもっていたとは言い難かったという。
昨年10月30日に銀座ブロッサムで開催された「るたんフェステバル」で萬さんは「貴婦人」という曲を歌った。作詞は矢田部道一だが、かつて深緑はコンサートで「矢田部と2人で作った歌」と語っていて、ともに練り上げてきた大切な曲だったのだろう。
萬さんが歌った「貴婦人」は素晴らしく、後でCDで深緑の同曲を聞いたのだが、萬さんのそれは、不思議と深緑以上に深緑らしいと感じさせた。
深緑は弟子に「この曲はあんたに似合わない」とよく言った。まず、その歌手のキャラクターや声質、年齢などに合った曲を歌うことを教えの基本としていた。この教えはスターでも一般の人でも例外はない。過去のインタビュー取材でも共通して出てくるエピソードである。
なので、弟子たちはそれぞれの個性を伸ばして、その一片に深緑を宿すような、そのような成長の仕方をしている。弟子たちに共通点が一見みられないのは、そのような教えにも起因している。一見、深緑の教え子と見えないところに、深緑の断片を感じることも珍しくない。
そのような中、萬さんの「貴婦人」は珍しく、深緑を真正面から受け継いだような歌だった。そして、昨秋はそのクオリティに感動したのだが、確かに今日はそのような心を揺り動かされるような、そういう情動に駆られることがなかった。
自分の中でイメージを良くし過ぎたのかとも思ったが、本人がいうように心が入っていなかったのだ。歌というのは技巧だけでなく繊細なものだとあらためて感じた。
4人席で千秋さんと萬さん、私と河村さんが横に並ぶ形になった。「お腹が空いた」と心底辛そうだった萬さんも少し胃袋に食べ物を入れて、ようやく落ち着いたようだった。
席では千秋さんがよく話していたように思う。最近身の回りに起こったこと、自分の心境などを話していた。萬さんと河村さんは静かに聞いていた。
千秋さんは身の回りに起こることを消化しきれていないようだった。年齢による衰えはあっても、精神的にはまだ多くの意欲を抱えていた。すでに理解しきれなくなった社会の変化と、自身との溝を受容しきれないようだった。
そのまとまらない思いの吐露を、萬さんは静かに聞き、時に千秋さんの問いかけに対して「それは考えない方がいい」「それは〇〇だから」など、ごく端的に答えていた。
大阪で会った千秋さんはどこか、嬉しそうな表情をしていた。
普段、写真を撮ることにほとんど興味がない自分だが、この時は並んでいた千秋さんと萬さんの写真を撮っておくべきだったと強く後悔をした。特別な空気が流れているように感じたのである。
食事を済ますと、萬さんの運転でホテルまで送ってもらった。別れ際にも千秋さんは「最後」という言葉を繰り返した。萬さんは「最後じゃないけどね」と言って去っていった。
ホテルでは河村さんが荷物を栃木に送る手配をしてくれた。ここでも千秋さんはずいぶんと名残惜しそうで、別れて部屋に戻るまでにずいぶんと時間がかかった。

翌日、私と千秋さんは新大阪駅に向かった。若い人なら歩いて3分かかるかどうかの距離なのだが、それでもタクシーを使いたいという。タクシーの降り場によっては、大して距離も変わらないので、休みながら歩いていくことにした。
少し歩くと千秋さんの息が切れるので、花壇の脇など座れる場所で休息を入れながら歩いていった。昨年の経験があるので、指定席はとらないでいた。時間に間に合わせようとすると、どうしても急がせることになるからだ。
新大阪構内に着いてからも、喫茶店に座ってもらい、その間に栃木までの切符を買った。戻ると、千秋さんはあちこちに電話をかけていた。それがひと段落するのを待って、新幹線の乗り場に再び歩き出した。新幹線に乗ったのはホテルを出発して、1時間以上経った時刻だった。
新幹線では、楽屋での様子や、昨日合流するまでの話を色々と聞いた。個性豊かな面々が織りなす楽屋模様は、そのまま人間模様でもあった。その内情をさも当たり前のようにさらりと話していた。
私だけ名古屋駅で降りたのだが、改札口を出て、あることに気が付いた。新大阪駅で千秋さんの切符は私が買ったのだが、失くすといけないと思い、新幹線で渡そうと自分が預かっていた。その切符を持ったまま、名古屋駅で降りてしまったのだ。あわてて、駅の精算所でそのことを説明して、駅から車掌さんに連絡をして、切符を再発行してもらう形で事なきを得た。
しかし、千秋さんにはしなくても良いはずの面倒をかけてしまった。
何かと千秋さんを子供扱いしてしまうこともあるが、結局のところ、自分もそう変わりないと気が付いた。
コンサートに招かれて大阪に足を運ぶ中で、千秋さんは多くの人の手助けを借りている。しかし、コンサートの主催者は千秋さんを必要として、不自由な体で人助けをしているともいえる。千秋さんを助けている周りの人も、たぶんどこかで人に助けられて、時には迷惑をかけながら生きている。
日本では、人に迷惑をかけないように躾けられる。しかし、インドでは、あなたも人に迷惑をかけるのだから、人のことも許しなさい、と教えるらしい。歳をとると、この言葉は身に染みるものがある。
深緑がどこかから見ていたとしたら、たぶんこの2日間のことを笑っているだろう。
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