以前、著者の三浦さんの取材を受けた時、ふと巷のノンフィクション作品についての雑談になった。彼が作品を論じるひとつが、その事実が初めて社会に伝えられたかという点で、いくら内容的に優れていても、既報の集まりでは一段下がる評価をしていた。話をしながら、この人はジャーナリストなのだと思った。彼は自分を作家と名乗ることはない。記者、ルポライターと紹介でも書いている。
本著『1945 最後の秘密』のあとがきでも「できるだけ世の中に明らかにされていない事実を発掘し、ノンフィクション作品として発表することを信条としてきた」と書いていて、第二章、第四章、第五章、第七章についてはそれに沿った内容であると考えを述べている。
あらためて、本作品は2015年から2025年にかけて、彼が所属する新聞紙上などで掲載した記事などに大幅に加筆修正を加えてまとめたものである。記事が最初に発表された時期はその通りだが、取材は最も過去のものだと2001年から始められている。
第二章 アフリカを攻撃した日本人
第三章 ミッドウェイの記憶
第四章 一〇一歳からの手紙
第五章 東光丸の悲劇
第六章 園井恵子の青春
第七章 原爆疎開
本書の七章はそれぞれ独立したオムニバスの形式を採っている。
『第一章 真珠湾の空』では、真珠湾攻撃に参加した元搭乗員にインタビュー。『第二章 アフリカを攻撃した日本人』では、マダガスカル停泊中のイギリス艦隊を攻撃した特殊潜航艇乗組員の悲劇を、潜水艦(母艦)通信兵の手記と現地取材からたどっている。『第三章 ミッドウェイの記憶』では、空母「赤城」に乗ってミッドウェイ海戦に参加した元整備兵にインタビューしている。
読み始めて、まず感じたのは文章の躍動感である。特に第一章から三章は関係者本人からの直接的な内容が多い。その場を生きた人間の証言は、時代を超えて空気を甦らせるのだろう。次から次へとページをめくる手が止まらなかった。
『第四章 一〇一歳からの手紙』は、満州国末期の極秘計画について取材したものである。取材を通じて、満州国の内情が丁寧に綴られて、最後に極秘計画とその顛末について記されている。全体の構成の中でこの第四章が群を抜いて長く、他の章と比べて2~6倍の分量である。
『第五章 東光丸の悲劇』では、八丈島で特攻兵器「回天」部隊の隊長であった小灘利春の手記と、アメリカの潜水艦に撃沈されて多くの民間人が亡くなった「東光丸」について、生存者の証言テープと護衛艦の水雷長のインタビューから、それぞれ詳細を掘り起こしている。八丈島における戦争について取材した記録である。
『第六章 園井恵子の青春』は、広島の原子爆弾によって亡くなった宝塚歌劇団出身で映画女優の園井恵子について、関係者の取材をもとにその劇的な人生をたどっている。
『第七章 原爆疎開』は、太平洋戦争末期に新潟で実施された原爆疎開について、その指揮をした畠田昌福知事を中心にその実像に迫るものである。公文書と資料による取材と、畠田の三男・哲男へのインタビューも行っている。
読み終えて、三浦さんというのは本当にルポライターなのかと感じさせた。
確かに、背景を知るために資料を読み込み、現地に足繁く通い、インタビューを得たことに安堵せずに、その正確さを検証して、完成した原稿は相手に確認してもらう。その姿勢はもしかしたら現代では稀有になってしまったかもしれない、誠実なジャーナリストそのものだろう。
私にとって本書は、六章の園井恵子に関することを除けば未知のことばかりで、新たな発見に満ちていた。ただ、この本の魅力を単純な知識のやり取りだけに見出そうとすると、何か違和感が突き上げてくる。
第四章は2021年、三浦さんの自宅に手紙(数十枚の書面)が送られてきたことから始まる。それは101歳の元記者・先川祐次からで、かつて自らが関わった満州国の極秘計画について綴られたものだった。二人の出会いは2011年で先川がかつて在学した満州国の建国大学に関する取材上でのことだった。三浦さんは2015年に建国大学やその卒業生たちについてまとめた『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』という作品を発表している。先川にも取材していたが、その時に関係者に迷惑をかけるといって聴くことができなかった件があった。三浦さんは記者であった先川に、いつか自身でその記録を残すように頼み、その約束が果たされたのが10年後のその日であった。
10年の間には二人の人間的な関わりがあり、その信頼関係の中で手紙は届けられた。
第四章に限らず、どの章も繰り返し現地を訪れてはその空気を感じ、関係者に丁寧に話を聴いていた。関係者も高齢になっており、内容も心の傷を抱えた繊細なものである。取材を承諾してもらうことも簡単ではない。その道筋を一緒にたどることができるのもルポの醍醐味のひとつだろう。それ自体も小さな物語のようで、読んでいると胸がじんわり温かくなった。
第四章の一節で、先川が三浦さんにかけた次の言葉が印象に残っている。
この作品で胸を打つのは「出来事」ではない。生死をかけた戦場で、抑圧された戦時下の誰も理解者がいない孤独な境遇で、勇敢に自身の任務に挑み、他人を思いやり、時に身を挺して信念に殉ずる、その人の「生き方」に対してだろう。
そして三浦さんは、自らの傷に向き合いながら取材に協力する関係者、その家族にも同じように「何か」を見出している。
私の心を後押ししてくれたのは妻の恭子だった。哲男が咳き込む度に、私が不安そうに恭子に目を向けると、彼女は力強く「まだ大丈夫」と頷いてくれた。
(『第七章 原爆疎開』P274より)
今から80年以上前に起きた戦争は決して過去のものではない。それに向き合う人たちは今も戦い続けている。関係者もそれを支える家族も、自らの信じる道に従い、時に傷に向き合う苦しさに耐えながら取材に協力している。三浦さんはそこに何かかけがえのないもの、本で取り上げた先人と同じ何か尊いものを見出したのだろう。文章にはそんな優しさが所々に散りばめられている。
この「人」への温かい視点は、三浦さんのあらゆる作品に共通するものである。それは本人にとって不本意かもしれないが、ルポライターというだけでなく、作家の視点ともいえるものである。
三浦さんはあとがきで、戦争を直接経験した世代が世の中から去り、当事者不在の中で戦争を語り継ぐ時代が来ることに危機感を述べている。
ふと、タイトルにある「最後の秘密」という言葉が頭に浮かんだ。これはすでに戦争という歴史が、すでに手の届かない過去になりつつあることへの嘆きや焦燥のようにも感じるのである。
戦争は私たちと同じ人間が生み出したものである。そして一部の愚かな人間が過ちに進むのではなく、誰もが抱えている心の一部がその人間を誤った方向に導くのである。誰か他人のために身を差し出したのも人間なら、戦争を生み出すのも、戦場で誰かを殺害するのも、同じ人間である。そして、私たちはそのどちらにも進む可能性を持っている。
この本が過去の悲劇や美談として受け取られることを著者は望んでいないだろう。そして、再び過ちを繰り返すかどうかの岐路は、すでに私たちの前に突きつけられているのだ。
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