このシリーズ記事の第1回(「孤独と生きるために ①イントロダクション」)で、孤独を「片方で人の栄光の基盤となり、片方で人を死や狂気に至らしめる」と書きました。今回は孤独やそれを感じることについて、その二面性(弊害と利点)について考えたいと思います。
目次
孤独の弊害
他者に批判的・攻撃的になる
太古から人間や動物が生き残る上で集団化することは大きな利点がありました。逆に言えば、集団化できない個体は淘汰されていくか、減少していく運命にありました。時代が進むにつれて人間は集団化の逆、つまり孤独に対して自らに警告を発するようになりました。人間にとって孤独ということは一種の危険です。危険を体内に表現するとしたら、まず掻き立てるような「焦り」であり、それは「恐怖」や「不安」に発展します。強い孤独では恐怖や不安を感じるのです。
人間が孤独を感じると、まず周囲と親密な関係を築こうとします。しかし、それが叶えられず、孤独が長く続く場合、他人に批判的になったり攻撃的になったりします。これは孤独感が恐怖や不安であることを考えれば不思議でない成り行きです。恐怖や不安を取り除くための防御的な反応なのです。
また研究によれば、孤独感が強い人間は、失敗を自分の責任と感じる一方で、成功を状況のおかげにしがちになります。また、小さなミスでも大失態のように感じてしまいます。客観的なストレス要因が同じでも、より厳しいと感じて、反面、日常で多少良いことがあってもあまり実感がなく、ありがたく思わなくなります。
つまり、出来事に対してネガティブに捉えがちということで、このような歪んだ認知が続くことで、他人への感覚も徐々に狂っていく可能性があります。
他者と友好的な関係を築きにくくなる
人間の脳は様々なものを認識、区別しています。例えば、人が笑っている写真と愛らしい犬の写真だと、一見同じようなポジティブな写真ですが、脳の反応は大きく異なっていて、本来は人間の写真により強く反応します。しかし、孤独な人の場合は人間でも人間以外の写真でも脳の反応に大きな差はないとされています。
また、人は自分に共鳴してくれる相手に好意を持ちがちです。好意を受けやすくするテクニックとして、相手と同じ行動をするという手法があります。飲食店で向かい合って座っていたとして、相手がコップを手に取ったら自分もコップを手に取り、相手が食べ物に手を付けたら自分もというような具合です。
この説明だとわざとらしく感じるかもしれませんが、相手が楽しそうにしていればこちらも楽しそうにして、逆に悲しそうにしていればこちらも悲しそうにすると考えてみましょう。自分が楽しくしているのに相手がムスッとしていたり、自分が悲しい時に相手が愉快そうだと、上手くかみ合わないのは理解していただけるでしょう。
しかし、このような意思疎通には相手の表情を読み解くことが必要なのですが、孤独感が強いほど、この相手の表情を読み解く精度も下がるとされています。
つまり、孤独な人たちというのは他人と友好な関係を築きたいと思っているのに、その能力も低下して、ますます孤独が深まる傾向になりがちです。これは孤独の解消策とは裏腹に、そのような人の関心が他者ではなく自己に向かっていることを表しています。つまり、本人が意識しているかは別にして自己中心的になってしまうということです。
孤独は健康を阻害する
孤独感が健康に悪い影響を及ぼすことは多くの研究結果が表しています。
それに若者より中高年に影響が強いことが示唆されています。孤独感が強いと食べる量が増えるのは、若者、中高年とも同じなのですが、中高年の場合は特にアルコール摂取量、食事の脂肪分が多いとされています。また、運動量も少なく睡眠時間が一緒でもその質が悪いとされています。
さらに中高年の場合、孤独を感じると朝の尿中のアドレナリンの値と唾液中のコルチゾールの値が高くなることがわかっています。前者はストレスに反応して血圧や脈拍を上げて、後者もストレスに反応するステロイドの一種で炎症作用やアレルギー反応を調節します。
つまり、孤独感はストレス反応により、それに対応する化学物質を分泌させます。これらは本来は身体に有益な成分ですが、一方で身体を消耗させる方向にも働き、それが長く続くことで健康を害する恐れがあると言えます。
若者より中高年に影響が強い原因ははっきりとはわかりません。食べる量やアルコール摂取量、食事の脂肪分については、後述しますが抑制(我慢)が効いていない状態と言えます。一方でアドレナリンやコルチゾールの上昇は身体の反応が過敏になっていると言えます。両者とも脳機能の低下が考えられるので、老化によって孤独による悪い影響を受けやすい可能性が示唆されます。
自己制御能力にも影響を及ぼす
人間が周囲と協調してより良い関係を築いたり、何か目標を設定して達成したりするには、勝手気ままな情動や衝動を制御する力が大切になります。社会で他人と協調していくには、自分の欲求を適度に出しつつも、相手の欲求も満たす必要があります。何か高い目標を達成しようとするには、楽をしたい衝動を我慢して、周囲の誘惑に負けずに集中する必要があります。
孤独感はそのような自分自身の内面を適度に調整する能力や、行動の際の適切なコントロールに支障をきたします。結果、困難に立ち向かうことを避けがちになり、粘り強さも低下します。
孤独を感じている人でも記憶や想起(思い出す)という単純な能力は保たれています。ダメなことはダメと理屈ではわかります。しかし、状況に応じて、ある欲求を捨てて未来の成果を選択したり、論路的に思慮を重ねて最善を選択したりするような複雑なプロセスは苦手になります。
そのため、その場の衝動や欲求に流されやすくなってしまい、抑制が効かなくなってしまうのです。孤独感が強い人の脳を調べると、このような自己制御にかかわる領域の働きが低下していることがわかっています。
そして、それらは増幅されうる
そして、これら孤独による弊害は長く続くことでより増幅することがわかっています。
孤独感が強くなることで健全な実行力や冷静な判断、他人とのコミュニケーションが難しくなります。孤独な人は実際に最初のうちは他人との接点を求めますが、孤独が深まるにつれて次第に他人から支援や助けを求めなくなっていきます。
客観的な判断が失われて、行動に粘り強さがなくなり、他人へのネガティブな見方が強まるという弊害により孤独がさらに深まり、それがさらにまた弊害を強くするという悪循環が起こります。
一方でつながりが強い人たちはお互いのポジティブな相乗効果により、さらに利点が増幅していきます。お互いが信頼することで心理的にも社会的にも良い影響が期待できます。それにより孤独な人間との状況はさらに離れて、つながりが築きにくくなります。
孤独な人は自身へのネガティブな評価からか、他人と関係を求めるからか、他人からの不公平な申し出や扱いを受け入れる確率が、孤独でない人に比べて高いとされています。不当な扱いを受けたり、搾取されやすいということで、これらの行為によってさらに他者への敵意や不信を強める可能性があります。
強まる孤独の末に凶行な犯罪に到るという経緯も、これらの悪循環の機序が一因と考えられます。
孤独の利点
孤独の利点は多くの人が指摘しています。芸術など創作活動には1人で集中して取り組む時間が必要でしょうし、スポーツの技能を向上するにも、1人で練習内容を考えて実践することが必要でしょう。
シリーズ記事の最初(「孤独と生きるために ①イントロダクション」)で、王貞治さんの「孤独とは親友のようなもの」という言葉を紹介しました。このような突出した結果を残すための孤独と、日常生活で生じる孤独は同じ性質のものなのかという疑問が僕の頭に浮かびました。
高いレベルの成果に臨む時、その高い技能ゆえに共感できる人、思いを共有できる人は限られてしまいます。「成果が本当に出せるのか? 」「周囲が期待している」「苦しいけど共有できる人はいない」。それらの苦悩はいずれも日常生活で感じる不安や恐怖といったものと通じる部分があります。
このような成果を出すための孤独は、自分から欲求を手放せば(つまり諦めてしまえば)解放されます。日常生活でつきまとう孤独感のように、長期的にその人の人格を歪めることは少ないと考えられます。成果を達成するか、諦めるかという選択の明確さもあり、日常生活での孤独さとは違い、解決策は自身の手の内にあるように思います。
そのような点で、日常生活での孤独とは質的に異なる部分もあるのですが、不安と恐怖であることは変わりません。
かつて僕は技能に優れた人が、孤独感という不安や恐怖を克服して成果を得るように感じていました。そうではなく、このような不安や恐怖を克服する能力に優れた人が、能力を上げて、卓越した成果をあげるのではないかと今は考えています。
「kotoba」2019年冬号では副題に「孤独のレッスン」と題して、作家を中心に孤独との関連について特集していて、そこには孤独がいかに創作活動に必要か書かれています。孤独の弊害として「関心が他者ではなく自己に向かっている」と前述しましたが、創作活動においては自己を深く見つめるという意味でも、このような時間が特に必要なのかもしれません。
まとめ
孤独やそれを感じることについて弊害と利点をまとめました。
弊害についてはその影響の強さもさることながら、悪循環により増幅していくことが重要かと思います。そのことにより、冷静な思考では考えられないような失敗や行動を起こす可能性があります。利点については、必ずしも優れた人が孤独を克服するのではなく、孤独を克服することで優れた人間になる部分もあるのではないかという考えに到りました。
次回は孤独について脳科学的な観点から考えていきたいと思います。
参考文献
1)ジョン・T・カシオポ、ウイリアム・パトリック(著)、柴田裕之(訳)「孤独の科学」河出書房新社.2010
2)「kotoba(34 孤独のレッスン)」季刊2019年冬号.集英社
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