強い孤独感に長い間浸ることで人間の脳は変化していきます。
孤立感を覚えると、実行制御と自己調節の機能が低下し、衝動的で利己的な行動につながりうる。積極的に意図を持って反応する能力もやはり低下し、消極的でネガティブになり、時に臨床的鬱病にすら陥る。
そして、こうした行動傾向は雪だるま式にふくらんでいく。
(引用:「孤独の科学」P278-279より)
自分で制御しようのない、どうしようもない孤独感に対しては、病院受診やカウンセリングも有効だと思います。カウンセリングというと、いかにも病人が受けるようなものに聞こえますが、スポーツにコーチがいて、技能を習いごとに行くように、心の整え方のアドバイスをもらいに行くと考えれば良いと思います。そして、自分で自らの心をある程度カウンセリングできるように、日頃から自身の心を深く洞察しておくことが必要に思います。
さて、病院受診やカウンセリングを考えたり、自らの心を何とかしようとしている人はまだ立て直す力が残っていると言えます。そのようなことを考えられないくらい心が重く、閉鎖された自分の世界から出られなくなっている人はどうするべきなのでしょうか。周囲への批判と敵意に満ちて、自分を制御することもできなくなっている人はどのように自分を取り戻せば良いのでしょうか。
そこでは自分の価値と可能性を本人が信じられることが何より大切だと思います。孤独があまりに強い人間はもはや自分の価値や可能性を信じていません。しかし、それはその人たちが考えている狭い世界での話です。
お金を稼げれば、美しい容姿なら、異性から愛情を寄せられれば、他人から認められる特技があれば、社会的な偉い肩書きがあれば、それで価値があるのでしょうか。それも価値の1つの側面だと思いますが全てではありません。
道徳心にあふれていた日本の社会もどこか他人を信頼できず、自己本位な風潮に傾きつつあります。
そのような社会の中、もしたった1人でも誠実に生きる人がいれば、もしかしたらその人のために誰かの心が救われるかもしれません。そして、その助けられた人がまた別の誰かを救うかもしれません。
「バタフライ効果」という言葉があります。1匹の蝶の羽ばたきが様々な影響を介して竜巻を起こすという、力学的な小さな変化でもそれがなかった状態とあった状態では全く違った状況になるという考えです(あくまでこれは例えた表現なので、本当にそのようなことが起こるとは勘違いしないでください)。
歴史でも人物同士が偶然に会ったことで、その後に大きな変化をもたらしたことはいくつもあるでしょう。その時は小さな出来事にしか見えなくても、それがきっかけで大きく社会に影響が出ることもあり得るのです。
歴史の大きな動きの中には、名もない人たちの尊い行いが積み重なっています。歴史上の偉人も子供時代があり、その時の誰かの不注意で子供の生命が失われたとしたら、歴史は変わってしまったでしょう。
その人の小さな行いで誰かの笑顔が引き出せるかもしれません。そうであればその人は無価値でも無力でもありません。この社会が荒れ地に見えたとしても、そこにたった一輪でも花を咲かすことができます。そのような可能性を誰もが秘めているのです。自分の可能性を信じてほしいと思います。
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