孤独と生きるために ⑤孤独の脳科学

前頭前野と扁桃体

孤独について脳科学や生理学など科学的な分野でも研究が進んでいます。

医療の世界で過ごしていると、脳の障害が運動機能だけでなく、心や精神にいかに大きな影響を及ぼすか痛感します。脳と人格の関係について、これ以上なく強い示唆を示すのは19世紀のPhineas Gageという人物の悲劇的なエピソードでしょう。

1868年、鉄道工であったGageは爆薬事故により、吹き飛ばされた1mの鉄棒が不幸にも頭部を貫通してしまいます。一命を取り留めますが、その後、彼の人格は大きく変わります。事故前は「そつがなく、頭の切れる仕事人であり、非常に精力的で、あらゆる計画を忍耐強く遂行する人物」であったのが、事故後は「意固地だが、きまぐれで優柔不断でもあり、将来の事業計画をあれこれ考えるが、決定するそばからそれを破棄して、もっと上手くいきそうな他の計画に替えてしまう」という性格に変わってしまいます。

Gageの頭部を貫いた鉄棒(引用:カンデル神経科学 P400)

Gageの鉄棒が貫通したのが前頭前野と言われる部分で、この不幸な事故により前頭前野が人格に及ぼす大きな影響が社会に知られました。前回の記事(「孤独と生きるために④ ~孤独の弊害と利点」)で、孤独の弊害として自己制御への悪影響をあげましたが、この自己制御を司っているのがこの前頭前野です。

情動において、前頭前野では特に腹内側部が重要とされています。社会的情動の障害を持つほとんどの患者で、この部分が左右ともに障害されています。また、右側に限定された損傷でも十分に非社会的症状を生じます1)。恐れや嫌悪のようなネガティブな情動は、左より右の前頭前野を活性化します。一方、ポジティブな情動を引き起こす刺激は、右より左の前頭前野を活性化すると言われています2)

色が付けられている部分が前頭前野。OFと書かれている部分が情動面で特に重要な腹内側部領域(引用:同上 P399)

さて、前回の記事では「強い孤独では恐怖や不安を感じる」と書きました。この不安や恐怖という情動を司っているのが「扁桃体」という部分で、脳の内部(部位は下図を参照)に左右1つずつあります。扁桃とはアーモンドのことで、江戸時代にポルトガルから伝来した際に扁平であったことから、このように呼ばれたと言われています3)

引用:「神経局在診断 第3版」P275

扁桃体は「海馬」という部分とともに記憶を司っています。前者は潜在的記憶であり、前者は意識的記憶です。この2つの記憶の違いを理解するには、心理学の「古典的条件づけ」を考えると良いと思います。

例えば、ある部屋のドアに入ろうとした時、そのドアノブから電流が流れたとします。それを繰り返されると(強烈な体験ならあるいは1回でも)、その部屋のドアノブを見ただけで電流の恐怖が思い起こされるはずです。その時に海馬は「ドアノブから電流が流れた」という事実を記憶します。そして扁桃体は電流が身体に流れた感覚を記憶します。

もし両側の海馬が損傷したなら、ドアノブを見ても言葉で説明することはできませんが、嫌な感覚は思い出します。もし両側の扁桃体が損傷したなら、ドアノブから電流が流れたと言葉で説明できるものの、恐怖としての実感を覚えていないので、平然とまたドアノブに手を伸ばします。

前頭前野、特に腹内側部領域は扁桃体と同時に作動すると言われています。孤独感をはじめとする不安や恐怖は、刺激(例えば高所恐怖症なら高い場所に上がることが刺激になる)が扁桃体に作用して起こりますが、それは常に前頭前野によって制御されているということです。前頭前野は扁桃体が生じる不安や恐怖をコントロールしていますが、おそらくそれは前頭前野→扁桃体という一方通行のものでなく相互に影響し合うものでしょう。

そのため長い期間孤独に苦しみ強い不安や恐怖を感じることで、扁桃体から前頭前野に影響が起こり、前頭前野の機能である忍耐や集中といった自己制御能力を低下させるのだと思います。

つながり化学物質「オキシトシン」

1906年、ヘンリー・デイルという生理学者が「オキシトシン」という化学物質をはじめて純粋な形で取り出すことに成功しました。この物質は脳内では神経伝達物質、子宮、乳腺、心臓、腎臓などではホルモンという形で身体に作用します。当初、オキシトシンは出産や授乳など女性特有の機能に働くと考えられていましたが、現在は男性にも作用することがわかっています。

抱きしめたり、背中をさすったりして、つながりを身体的に表すと、触れられた部分のオキシトシン値が高まります。赤ん坊が乳を吸う時、その刺激がオキシトシン値を高め、それによって乳の出が良くなります。この刺激は母親にとって条件反射となり、子供をただ見ているだけでも乳が出るようになります。オキシトシンを注入されたメスの羊は子羊に対して、たとえそれが自分の子供でなくても母親らしい接し方をするようになります2)

高い社会性を持つ一夫一妻制のハタネズミは脳の特定の領域にオキシトシンの受容器が集中しています。単独で暮らす野ねずみやヤマハタネズミにはそれがありません2)

人間でも投与することで他人への信頼感が増したとの報告もあります。これらの事例から考えても、オキシトシンが人とのつながりを形成する上で、重要な役割をしていることが示唆されます。

オキシトシンの興味深い特徴は、接触することで分泌が促進されるということです。これは赤ん坊や幼少時のスキンシップの重要性を裏付けるとともに、喫煙が心を落ち着かせる理由の1つにも考えられます。

また、消化管の内壁は発達学上は皮膚と同じ系統であり、その刺激でもオキシトシンの分泌が促進されることがわかっています。つまり飲食をすることも孤独を癒やすことにつながるということです。

何か交渉をまとめたい時に会食をしながらというのは理にかなっていますし、寂しい時につい間食が増えるのもこのような生理学的な背景があるのかもしれません。

まとめ

孤独について脳科学と生理学の視点からまとめました。脳は各部位が相互に関連し合って複雑なネットワークを築いており、単純に今回取り上げた部位だけが孤独に関与しているわけではありません。しかし、孤独の不安や恐怖において、前頭前野や扁桃体が切っても切り離せない関係にあるのは間違いないでしょう。

孤独というと精神や心理的な側面が強く、歴史的にもそのような分野での研究が多く行われてきました。そこに科学的な知見を加えることで、その本質の解明や対処法がさらに発展していくでしょう。

次回は孤独の柔軟性や耐性を向上するために、どのような方法があるのか考えていきたいと思います。

参考文献

1)Eric R Candel etc、金澤一郎 他(監)「カンデル神経科学」メディカル・サイエンス・インターナショナル.2014
2)ジョン・T・カシオポ、ウイリアム・パトリック(著)、柴田裕之(訳)「孤独の科学」河出書房新社.2010
3)中野隆(編著)「機能解剖で斬る神経系疾患」メディカルプレス.2011

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUTこの記事をかいた人

兼業作家。2023年4月『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』(国書刊行会)上梓。歴史全般が興味の対象ですが、最近は大正~昭和の文化、芸術、演劇、映画、生活史を多く取材しています。プロフィール写真は愛貓です(♂ 2009年生まれ)。よろしければTwitterのフォローもお願いします。(下のボタンを押すとTwitterのページに移動します)。