幸せですか? と聞かれて「幸せです」と胸を張って答えられる人間は少ないかもしれません。「う~ん、取り立ててすごく嫌なこともないし幸せかな」と消極的に幸せと答える人も多い気がします。大きな病気もなく、衣食住が保たれているのに「幸せじゃない」と答えるのが、何だか悪いことみたいに思えるというのも心理としてあるかもしれません。
今回はこのような、どこか満ち足りないという不幸にも共通しますが、「なんで俺ばっかり」とか「なんで私はいつもこうなんだろう」という積極的に「不幸せ」と思っている人について、特に当てはまる心理について考えていきたいと思います。
最初から言いますが、読んだだけで都合良く解決できる方法があるわけではないので、ここにお断りを入れておきます。また、例えば幼少期に愛情が欠乏していたから親を困らせるためにわざと不幸になるとか、そんな心理学の専門家みたいな話もしないので、そのような内容は期待しないで読んでください。
さて、そのような不幸せを感じる人には、向上心が強い人や優秀な人が多いように感じます。向上心や能力があるがゆえに、もっと求める傾向が強くなってしまうのだと思います。自分の足りない点にフォーカスして、そこを必死に埋めようとします。そのために努力をして、それが達成されないことで、さらに渇望感が増すこともあります。
そのような人でなくても、人間は自分の足りない点に注目しがちです。僕は病院や施設での勤務経験が長かったですが、痩せた看護師さんは「ガリガリじゃ嫌、もう少し肉があった方が良い」と言い、他の看護師さんはその人を指して「あんなにスタイルが良ければいいのに」と言います。独身の人は「結婚したい」と言いますし、子供がたくさんの人は「たまには1人の時間が欲しい」と言います。20代の人は「10代の頃はもう少し無理ができたのに」と言い、30代の人は「20代の頃は……」と、ここまで例をあげるともう分かっていいただけるでしょう。
患者さんは「健康が一番だよ」と言います。
人間は結局のところ、自分の足りないものに視点が移りがちで、反面、 自分の持っている宝物には全然気が付きません。結婚しても子供ができない人はその不幸を嘆くかもしれませんが、結婚ができない人にとっては、パートナーがいるという事実は何よりうらやましいことかもしれません。看護師さんは普通に働くよりもおそらく高給で、それ自体も他の人から見るとうらやましいかもしれません。僕は背が162cmほどですけど、背が高い人はやはり良いなぁとは思います。でも、背が高い人からするとあまりその価値を感じていないことも多いです。
すでに手に入れたものには慣れてしまいます。子供が欲しくてたまらなかったおもちゃを飽きるように、その状況は長く続きません。そして、それを手に入れるまで苦労したり、自分が決めて手に入れたものは、まだ価値を感じやすいですが、労力をかけずに手に入れたものには特に価値を感じにくいようです。
例えば、先ほどのように背が高い人は努力して手に入れたわけではありませんし、運動神経がいい人はそれが当たり前ですし、美人というのも先天的なものが大きいと思います。自分が背が高いことも、運動神経が良いことも、美人であることも自覚はできますけど、それが得がたい特別な宝物とは感じにくいのです。
他にも告白されて付き合いを始めたカップルは、どうしても好きになって告白した方よりも、告白された方がパートナーの価値を感じにくいかもしれません。それで別れを切り出されてから急に慌てるわけですが……
欠点や自分の足りない点を自覚するのは悪いことばかりではありませんが、そればかりでは自分を不当に低く見ることにもつながります。自分の持っている宝物を心から自覚できると自信や心の安定につながります。一度、自分や周りを見回してみて、そのようなものがないか考えてみるのも良いのではないでしょうか。
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