他人の悪口や周りに対する不満が止まらない人がいます。
周りも最初は大きな心で接していますが、そのうち持て余すようになります。そして、そのような人の周りは、同じような悪口や不平不満を言う人ばかりになります。
悪口や不平不満が多い人は「不幸せな人間の理由②」で話したような「執着」が強い人と言えます。「○○だったら幸せ」という考えを持ちがちなのだと思います。
他人のせいで、環境のせいで、という考え方のをすると、幸福も不幸も他人次第ということになります。
例えば、他人のせいでイライラするという状況はよくあると思います。しかし、程度の問題こそあれ、いくらか感情はコントロールできます。
待ち合わせに10分遅れてきたとして、長年の友人であれば不快な気持ちを露わにするかもしれません。しかし、憧れていてようやくデートに誘えた異性なら、そんな感情を表に出すことはないでしょうし、そもそもイライラもしないかもしれません。
部下が仕事中に居眠りをしていたとして、腹が立つかもしれません。しかし、昨日親が危篤で寝ずに看病していたと知れば、大らかな気持ちになれるのではないでしょうか。
ここからは分かるのは、人は出来事に対して感情が引き起こされているわけではなく、状況や文脈、時には損得に応じて、感情を選択しています。
言い換えると、その人の価値観や人生観によって、物事の解釈が変わります。その解釈によって感情を使い分けているのです。
ベストセラー「7つの習慣」では、そのような個人の物事の見方を「パラダイム」と呼んで、その存在を自覚し、外してものを見ることの必要性を説いています。
「7つの習慣」の中には、ユダヤ人収容所に入れられて、家族を殺された心理学者の例が収録されています。そこで彼はナチスですら侵すことのできない、自分の意思の自由に気付き、看守を含め周りの人たちの模範となり、生き甲斐を与える存在になったとされています。
このような生き方を誰もに求めるのは無理だと思いますし、僕もできるとは思いません。しかし、起こった出来事に対して、最終的に解釈を加えるのが自分というのは間違いありません。
日々の小さな出来事でも、ずっと前向きに捉え続ける人と、悲観的に捉え続ける人では、幸せの感じ方に大きな差が出るでしょう。
それともうひとつ、そのような人は自分の人生に責任を持たないと言えます。
今の状況が他人や環境のせいだと考えると、自分の人生を他人や周りの環境に委ねることになります。他人のせいで不快になった、環境が悪いから上手くいかない、というのは、一見辻褄が合っているようですが、自分の人生の責任を周囲に押しつけているとも言えます。
職場の悪口を言い続ける人がいますが、その職場を選んだのは紛れもなくその人自身です。伴侶の悪口を並べる人がいますが、その伴侶を選んだのもその人自身です。親が決めた結婚だとしても、親の言うことに従うと選択したのは自分です。
不慮の事故や先天性の病気など、確かにその人になんの因果もない場合も確かにありますが、多くの人が持っている些細な不満は、もとを辿れば自分の選択が導いた結果です。他人や周囲のせいにして、自分の人生に責任を持たないと、いつまでも自分の人生を自分でコントロールできません。
そのような人は、自分が不幸に思っている理由を何か外部の因子に結びつけがちです。例えば、自分は器量が悪いから結婚できないと考えている人がいます。器量が良い方が結婚には有利かもしれませんが、そうでなくても結婚している人はたくさんいます。自分が結婚できない理由を器量に押しつけて、結婚するための努力をするとか、自分に足りない点と向き合うとか、結婚による不自由さを背負わないとか、何かしらの面倒を避けていると言えます。
自分の人生を他人や周囲に委ねているうちは、なかなか幸せを実感しにくいと思います。まず、自分の価値観や人生観で周囲を解釈していることに気付き、自分の選択が人生を作っていると自覚することが大切だと思います。
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