僕は文章を書くのが好きで、文芸関係のコンクールにたくさん応募してきました。小さな賞を受賞したことはありますが、多くは落選を繰り返しました。子供の頃は絵を描くのが好きで漫画家になりたいと思いましたが、絵が下手で断念しました。オセロは五段で、数々の選手を見てきましたが、長い時間費やしていても棋力が伸びない人もいれば、短期間で上達する人もいます。理学療法士で治療技術の勉強もしますが、上達には人によってずいぶん差があるように思います。
このような経験をたくさんすると、嫌でも、才能、努力、成長という問題について考えさせられます。そして成長したいと思い、多くの本を読んだり、実績をあげた人たちと会ううちに、いろいろな気付きがありました。
成長あるいは結果を出すために才能や努力が必要だと、このような構図が成り立つと思います。しかし、成長や結果というものに対する考え方は人それぞれであり、そのプロセスである才能や努力にしても、(大きな結果を残してきた人であっても)人それぞれなのです。
最近、驚いたのがイチロー選手の引退の記者会見での一節でした。
やっぱり力以上の評価をされるのというのは、とても苦しいですよね。だから、そこから純粋に楽しいなんていうのは、もちろんやりがいがあって、達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。ただ、楽しいかっていうと、それはまた違うんですよね。(2019年3月22日 イチロー選手引退記者会見より)
僕は天才と呼ばれて、普通の人間が及びもつかない結果を残す人たちは、努力に対しての感覚が違うと考えていました。
簡単に言えば「好きだからやる」「楽しいからやる」という構造です。努力に対する辛さがあるにせよ、普通の人が感じるような強い義務感でやっているわけでなく、自然に行い、習慣として、当然のこととして行うルーティンになっている。だから、圧倒的な量の努力ができるのだと考えていました。
プロセスを楽しむことができるかが、努力を続ける上で大切だとよく言われますが、このイチロー選手の言葉からは目標を達成する楽しさには言及しているものの、プロセスについては少し違う気がします。もちろん、普通の人よりはプロセスを楽しむ能力に長けているとは思いますが……
ここから気付いたのは、圧倒的な結果を残している人でも、それぞれ努力や結果に対する考えには違いがあるということです。その違いを認識して、自分なりの方法を見つけることが大切 なのではないかと思うわけです。
このブログでも今後、才能、努力、成長について多くの記事が更新されると思いますが、そのようにひとつの決まった正解があるわけではないと知って、参考にしていただくと良いのかなと思います。
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