長所も短所も同じものである

受験や就職で、自分の長所と短所を聞かれることがあります。教育において、長所を伸ばすのか短所をなくすかは、よく議論されるところです。

それについての僕の考えは後で述べますが、性格や気質における長所と短所は、別々に分けられるものではないと考えています。技能的な低さについては単純に欠点にしかならないですが、性格の傾向については、簡単に長所と短所を分けられません。

例えば、優しいと言われる人が臆病であったり、優柔不断であったりしますし、人の心情を察することが苦手な人が決断力や実行力に優れていることもあります。

あるひとつの性格の傾向が、どのように出るかによって、長所にも短所にもなり得るのです。なので、表面に見えるのが短所だとしても、その裏には長所も見ることができます。

そのひとつの性格や気質を、いかに前向きな方向に引き出すかが大切だと思います。

さて、技能的な低さについては単純に欠点にしかならないと言いました。例えば、スポーツにおいて足が遅いとか体力がないとかが長所になり得ないのは、理解していただけると思います。

ポジティブシンキングを旨とする人は、長所を伸ばすことをよく主張しているように思いますが、元プロ野球監督の野村克也さんは著書で、短所をなくすことを勧めています。

世の中には「多くの時間をかけて短所を直すより、長所をどんどん伸ばすほうが効率的でよりよい結果につながる」よか「短所を無理に直そうとすると、かえって長所を殺ぐことになりかねない」といった指導法を信じている人たちがたくさんいる。だが、私は、それはウソだと思っている。少なくても、野村再生工場の信条は、その反対だ。「長所を伸ばすためには短所を鍛えろ」と私は考えている。

人間は、せっかく長所があっても、短所がその長所の邪魔をしてしまうものだ。人の性分で言えば、その人の中に、いい性格と悪い性格の部分があると、せっかくいい性格を持っていても悪い性格が邪魔をして、いい性格まで消えてしまうのだ。
(引用:野村克也「なぜか結果を出す人の理由」P121より)

僕の考えは野村さんに近いと思います。短所があまりに目立ち過ぎると、長所が生かされないことがあります。少なくても長所の足を引っ張らないくらいには、短所を解消しておいた方が良いというものです。

仕事が優秀でも、時間を守らない癖があまりにひどいと、その人の評価は上がらないでしょう。

野球で例えると、打撃が良くても、守備があまりに下手で出場機会が少なくなっている選手がいるとします。この場合、せめて平均レベルに守備を向上させることが望まれます。

どのくらい短所を直すことに時間を使うかは分野によると思います。この野球の例で言えば、守備が平均的レベルになれば、あとは長所の打撃を伸ばしても良いと思います。鍛えて伸びるものとそうでないものがあって、例えば足が遅いというのはなかなか改善しないものです。走塁技術を上げることによっていくらかカバーはできるかもしれませんが、限界はあるのでそこの見極めも必要でしょう。

短所というのは伸び率が悪いのは事実で、そこを無理して練習しなくても良いという考え方も一理あると思います。学び始めで楽しさを覚える時期はそれで良いかもしれません。しかし、ある程度のレベルまではそれで通用しても、致命的な欠点があるとそれが向上や成果の邪魔をします。そのため一流選手というのは練習量も多くなるのだと思います。

性格や気質的なマイナス面についても、目立たない程度に抑えられると良いと思います。しかし技能的な欠点と違い、性格や気質の短所は長所と表裏一体ということを忘れないでおきたいものです。

単純に排除するものでなく、もともとある資質を良い方向に伸ばすと考えれば、短所への向き合い方も変わると思うのです。

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兼業作家。2023年4月『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』(国書刊行会)上梓。歴史全般が興味の対象ですが、最近は大正~昭和の文化、芸術、演劇、映画、生活史を多く取材しています。プロフィール写真は愛貓です(♂ 2009年生まれ)。よろしければTwitterのフォローもお願いします。(下のボタンを押すとTwitterのページに移動します)。