本棚に買った覚えのない本がある話

太古の昔、伝承は口で伝わっていました。しかし、記憶だけでは膨大な知識を伝えきることができず、人間は文字を発明して、後世まで出来事や知識を伝えるようになります。

それがいつからか、紙に文字を書くようになり、書いたものをまとめて一括りの束を形作るようになりました。それが本の由来です。

本が好きという人は多いのではないでしょうか? 電子媒体が発達して、電子書籍という便利なものがある今日でも、紙で作られた本の方が好きという人は多いと思います。

本というものは、ある人の経験や知識を詰め込んでいて、読み手はそれを受け取ることができます。一種のコミニュケーションの手段であり、時間や空間を越えて、人と繋がることができます。

ある本が人生を変えるほど影響を持つこともあります。それほどではなくても、僕は何か壁にぶつかった時は本を開くことが多いです。

本棚に買った覚えのない本がある話

僕は本屋さんで目的もなく、ぶらりと棚を眺めることが好きです。そうすると、最初は買う気がなくても、気になった本を2、3冊買いたくなります。不思議なもので、同じ本でも欲しい時と興味がひかれない時があります。そして、買ってすぐ読む場合と、そのまま買ったことに満足して、本棚にしまったままになる場合と2つに分かれます。

中には本棚に置いたまま、買ったことすら忘れる本もあります。

最初のうちは、読まない本について無駄遣いしたように感じていたのですが、最近は考え方を少し変えました。

というのも、そのような存在を忘れていたような本でも、時を隔てて自分の助けになることが多々見られるからです。それも日々の毎日が行き詰って閉塞感が充満しているような嫌な時期に限って、そのような本が急に自身の存在を知らせて、現状を変えるヒントをくれます。僕にはそんな経験が何回もあります。

もともと、何かインスピレーションがあって欲しいと思った本ですから、自分にとって必要なことが書いてあってもおかしくはありませんが、それが大きく時期をずらして影響を与えることが何とも不思議に思います。

同様の経験を何度もしたので、僕は何かに行き詰まった時、「何か答えが書いてある本はないかな」と本棚を眺めるようになりました。

人生で書籍との関わりが深まるほど、本に不思議な力があると信じるようになりました。なので僕は、なるべく本は押入れに入れず、いつでも見られるように棚に並べておきたいです。

「本棚を見れば、その人となりがわかる」と言われます。その本棚も年を追うごとに変化していきます。僕の本棚には、リハビリや整体のための解剖学書、生理学書、治療関係の本が並んでいます。自己啓発書やサブカルチャーの本もあります。それなりの時間を経過して残ってきた書籍ばかりですので、本棚も熟成してきた感があります。

そのような中で、新しい本が入ったり、押入れとの入れ替えがあったり、買った覚えがないような本が紛れ込んだりします。

本棚も生き物のような感があります。動物ではなく樹木のイメージです。年輪を重ねて渋みを増すような、そのような感覚です。

自然が人間の心を癒やすように、本棚や書籍も人の心を癒やす効果があるように思います。本と過ごすことは、僕にとっても癒しであり、心を落ち着かせてくれるのです。

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兼業作家。2023年4月『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』(国書刊行会)上梓。歴史全般が興味の対象ですが、最近は大正~昭和の文化、芸術、演劇、映画、生活史を多く取材しています。プロフィール写真は愛貓です(♂ 2009年生まれ)。よろしければTwitterのフォローもお願いします。(下のボタンを押すとTwitterのページに移動します)。