僕は仕事上、ずっと医療に関わる世界で過ごしてきました。もしかしたら、聞いたことがあるかもしれませんが「チーム医療」という言葉があります。
異なる職種同士がそれぞれの専門性を活かして、患者様の治療にあたるというもので、現代医療では常識と言えるでしょう。
しかし、僕はこの言葉に長い間、違和感を持っていました。このチーム医療の関係はそれぞれの職種が独立して高い技能を持っているがゆえに成り立ちます。しかし、実際にはそれぞれが十分な成熟をしておらず、お互いを甘やかすだけのチーム医療も存在します。
時にはお互いをフォローすることも必要ですが、フォローし合うことが目的になったチーム医療では、患者様に迷惑をかけてしまいます。
このような図式は一般社会でも多々見られるように思います。
「『人』という字は人と人が支えあってできている」というのが、武田鉄矢演じた金八先生の名言ですが、時に支え合うことは必要ですが、相手に支えることを強要するような関係は必ず崩壊します。ドミノ崩しのようになりますから、相手はそこから逃れようとします。
最初は良好な関係だった恋人同士が、依存が強くなって、関係が悪くなるのもこの理屈です。
人が1人で生きられないことは事実で、集団でいるから社会が成り立っています。1人でいる限りは、毎日自分で食料を手に入れて、全ての日常品を作らなくてはいけません。たくさんの人がいるから、ある人は農業をして、ある人は生産業をして、というように相互に助け合う関係ができます。作業の効率化がはかられて、経済的に高い効果を生み出すことができます。
しかし、その1人1人が自立しているから成立しているのであって、ある人が自分の仕事を他人に手伝わせようとしたら、どうなるでしょうか? 最初は周囲も快く引き受けるかもしれませんが、それが続くうちに、その関係を解消したくなるに違いありません。それでは社会が崩壊してしまいます。
成熟した人間は自分で立っているものです。それが自分との周りや社会との関係を保つ条件です。
それでは、未発達な子供や、病気の高齢者はどうでしょうか。確かに自立できない存在もあります。これを書いている僕もいつか自立できなくなる日が来ます。
野生動物の社会では、子供の時は別ですが、高齢になって自分で生活できないと死ぬしか道が残されていません。しかし、人間社会では支えることもできます。
仕事を分配して効率を高める社会のつながりは、いわば「横の相互社会」と言えますが、このように時間によって、その時に労働力になれる人がなれない人を助けて、後に労働力になれなくなった時に助けてもらうというのは「縦の相互社会」と言えるかもしれません。
相互社会が成り立つのは自立できる人が自ら立っていることが条件です。時にはそれが辛いこともあると思いますが、やはり、立っていないといけないのです。この「自立」の問題については、いつか後の記事でも触れていきたいと思います。
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