園井恵子を語り継ぐ人々

前回の記事でお話ししたように、園井恵子さんと同時期に生きていた人たちは高齢となり、直接お話を聞くのは難しい時代になっています。そのような中で園井さんを語り継ぐ役割を担ってきた団体があります。もし、園井さんのことをより知りたいと思った時に力を貸してくれると思います。

園井恵子を語り継ぐ会

園井さんは幼少期を岩手県川口村(現在の岩手町)で過ごしました。そこで一緒に過ごした同級生や地元の有志が立ち上げたのが「園井恵子を顕彰する会」でした。この会はメンバーの高齢化により存続が難しくなり解消の形を取りましたが、現在はこの「園井恵子を語り継ぐ会」が役割を引き継いでいます。

語り継ぐ会は園井さんに関する情報発信や関係団体との連携、ブロンズ像の維持管理、法要・墓参り、イベントの際の協力などを行っています。もし、取材などで遠方から岩手を訪れるのでしたら、事前に相談してみると良いと思います。

問い合わせ
「園井恵子を語り継ぐ会」(会長 柴田和子さん)
〒028-4301 岩手町大字沼宮内7-21 (有)トモエ商会内 電話0195-62-2307

桜隊原爆忌の会

桜隊は広島の原爆投下時に爆心地から750mの地点におり、その時に滞在していた9名は全滅しました。園井さん、丸山定夫、仲みどりが有名ですが、他にもこれから活躍したであろう若い役者たちがいました。

戦後に苦楽座(桜隊の前身)に所属していた徳川夢声が呼びかけて、多くの関係者の協力により目黒の五百羅漢寺に「桜隊原爆殉難碑」が建立されました。その後、五百羅漢寺の工事の事情などを除けば、毎年8月に法要や殉難者追悼会が行われていました。

ホームページを見ていただくとその歩みがわかっていただけると思いますが、かつて桜隊に所属していて運良く広島の殉難から逃れた人たちや、桜隊と旧知の人たち、遺族の人たちなどを招いて、追悼や証言公演などを行っています。

時代が進むにつれて、当時を知る関係者が少なくなり、2018年より殉難者追悼会は休止という形を取っています。法要は毎年8月6日に目黒の五百羅漢寺で続けられています。

現在の桜隊原爆忌の会から、園井さん個人の情報を得ようとしてもなかなか難しいかもしれませんが、過去に残した記録や証言は貴重なものになっています。文献については後の記事で触れたいと思います。

問い合わせ
「桜隊原爆忌の会世話人事務局」
〒103-0024 東京都中央区日本橋小舟町9-10-903 電話03-3667-1890 FAX 03-3667-1891
(ホームページの住所と違いますが、2019年の案内で送られてきた内容なのでこちらで通じると思います)
桜隊原爆忌の会ホームページ:https://www.photo-make.jp/sakura.html

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ABOUTこの記事をかいた人

兼業作家。2023年4月『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』(国書刊行会)上梓。歴史全般が興味の対象ですが、最近は大正~昭和の文化、芸術、演劇、映画、生活史を多く取材しています。プロフィール写真は愛貓です(♂ 2009年生まれ)。よろしければTwitterのフォローもお願いします。(下のボタンを押すとTwitterのページに移動します)。