『親友が語る手塚治虫の少年時代』を語ってみる

『親友が語る手塚治虫の少年時代』

過去から現代にかけて多くの書籍が存在します。採算こそ計算されているものの、内容に新しさはなく、過去の出版物のエッセンスを薄めたように乱造された書籍がある一方で、そのような打算がなく、ただ世の人に伝えたい使命感のもと、作られた本があります。

この『親友が語る手塚治虫の少年時代』もそのような書籍の1冊です。田浦紀子さん(旧姓:高坂)、高坂史章さんの姉弟による共著で、プロフィールによれば、在学時代に阪神間の手塚治虫ゆかりの地を記した研究誌『虫マップ』を発表、その後も改訂をしながら様々な媒体で研究成果を発信し続けているそうです。田浦さんは最近は手塚治虫に関するイベントにも携わっており、手塚ファンが高じてライフワークとして活動しているように見受けられます(『虫マップ』公式サイトはこちら)。

『親友が語る手塚治虫の少年時代』田浦紀子、高坂史章共著 和泉書院 2017年

田浦さんはあとがきで次のように書いています。

米寿を迎える手塚先生の同級生の方々は、私の質問にひとつひとつ丁寧にお答え下さいました。原稿を進める作業で感じたことは、この年代の方々は、自分の生きてた時代や戦争体験が活字となることに、ものすごく執念を燃やしておられる方が多いということでした。一人ひとりの取材の時間が本当に貴重で、私はこの時間は神様が―― 手塚先生が与えて下さった時間なんだ、と思うことにしました。

そのような思い入れのもとに作られたこの本には、細部に至るまでこだわりが見られます。表紙は手塚の出身校である北野中学時代の国民服のカーキ色、見返しは戦争中の北野の暗黒時代からグレーに配色されています。帯とカバーの下の表紙にも手が尽くされ、銀がちりばめられた「新・星物語」という紙が使われています。少年時代に手塚治虫が想いを馳せた電気科学館のプラネタリウムのイメージとのことです。そこには表には手塚自身が書いた自画像、裏には鉄腕アトムが描かれています。

カバーを外した内装にもこだわりの跡が見られます。

もちろん内容も過去にない貴重な知見にあふれています。今回は書籍の概要とともに、この本が過去の類書と比べてどのような特色を持っているのか、私なりの考察も含めて紹介したいと思います。情熱と使命感のもとに作られたこの書籍の魅力が少しでも伝わればうれしく思います。

本の基本構成


タイトル:親友が語る手塚治虫の少年時代
著者:田浦紀子、高坂史章
出版社:和泉書院
発行日:2017年4月7日
サイズ:A5版
ページ数:176
価格:1750円(税抜)
〈目次〉

第一章
【講演録】手塚治虫の少年時代(大森俊祐、手塚浩、宇都美奈子)
◎手塚治虫の少年時代
・はじめに
・アセチレン・ランプのモデル
・ポイトコナの話
・ストーリーテラーとしての才能
・類い希なる絵の才能
・手塚治虫はいじめられっ子ではなかった!?
・治虫(オサムシ)誕生
・パラパラ漫画
・秘密結社
・『手塚治虫少年の実像』
◎家庭における手塚治虫
【コラム】手塚治虫の楠的想像力(小林準治)

第二章
【講演録】手塚治虫と昆虫(林久男、手塚浩)
【コラム】『昆蟲つれづれ草』について(小林準治)

第三章
【講演録】写真とアニメで語る手塚治虫(岡原進)
【コラム】「紙の砦」を歩く~仁川の一里山健民修練所跡(田浦紀子)

第四章
【講演録】紙の砦 手塚治虫と通年動員(金津博直)
【コラム】手塚番の熱い夏の日々(黒川拓二)
【コラム】歴史的に語る手塚治虫の少年時代(高坂史章)

第五章
【インタビュー】伴俊男(手塚治虫元アシスタント) 聞き手:田浦紀子
・「手塚治虫物語」に描かれた手塚治虫の少年時代について
・伴俊男さんご自身のことについて
・「紙の砦」のエピソード 終戦の日を迎えた旧阪急梅田駅コンコースについて
・「アドルフに告ぐ」について
・「どついたれ」について

主な参考資料文献と出典
あとがき
助言・協力・資料提供

情熱と使命感のもとに


本の内容は、講演の記録に図版や解説を加えて収録したものが主体で、そこにコラムやインタビューを加えて構成しています。講演には手塚浩(手塚の実弟)、宇都美奈子(手塚の実妹)、小学校、中学校の同級生が登場し、それぞれの視点から手塚治虫の少年時代について話しています。

ここからは実際に一部の紙面を見ていただきながら内容を紹介します。

巻頭8ページにわたってカラー写真で少年時代の写真、作品、ゆかりの地や跡地などを紹介しています。

本書16~17ページより。講演での証言をイメージしやすいように関連する作品や資料が紙面に加えられています。左ページの作品は小学校6年間の思い出を1枚の絵にまとめたもの。記憶力に驚かされるだけでなく、躍動感ある描写にすでに才能が見てとれます。


本書62~63ページより。右の図版は弟・浩さんが宝塚時代の手塚邸の見取り図を書いたものです。他にも妹・美奈子さん、友人・大森さんの記憶を辿った見取り図が収録されています。第1章の浩さん、美奈子さん、大森さんの講演録は本書の3分の1ほどを占めています。この実弟、実妹の証言からは、単に近くで手塚治虫を見ていたことを話しているのではなく、その創作のルーツ的なことを深く考えられた末に話されていることが伝わってきます。手塚と関係のあること以外はほとんど話さず、講演にありがちな脱線がありません。編集によってこのような記述になっている可能性もありますが、私はそうではなく講演自体がこのような聞く側にとって心地よいものだったように思います。それは手塚と血が繋がった知性の表れと同時に、彼に深い関心を持ち、そして弟妹として生きてきた中で、求められている証言を自然に理解することに長けてきたのではないかと考えています。

本書156~157ページ、コラム「歴史的に語る手塚治虫の少年時代」(高坂史章)より。このページでは手塚治虫が通年動員で働いていた大阪石綿工業について書かれています。この工場は手塚の自伝的マンガ『紙の砦』でも登場します。ただし『紙の砦』の内容については誇張や創作もいくらか含まれているようです。

本書の特色に関する考察


ある作家の作品に傾倒したとして、次にその作家自身に興味を持つのはごく自然な心理のように思います。何かの本のあとがきで手塚治虫の作品について「宇宙的な感覚で描かれたもの」というように表現されていた方がいたと記憶していますが、それは単にSFものを書いているという意味ではなく、どこか人間や社会を俯瞰して見ているような感覚が手塚作品からは感じられます。

どうしてこのような作品を生み出せるのか? 特に手塚作品に影響を受けた作家やアーチストはそのような疑問を強く持つと思います。それは彼の名作においては、自身の延長線上からは生み出せない特別な感性が感じられるからだと思います。

その疑問に対して答えが得られるような書物は成立しないように思います。ある一人の作家が手塚論を書いたとしても、自分よりはるかに大きな存在を語り尽くすのは難しいからです。宇宙学者はその全容を知っているわけではありません。断片から全体、本質に何とか少しでも近付こうと日々取り組んでいるのだと思います。手塚治虫の断片については多くの人たちが書いています。前述の「宇宙的な感覚」というのもその表現のひとつで、優れた作家や芸術家、科学者などの考察は感じ入るものがあります。

さて、そのような手塚治虫の創作のルーツについて深く感じたいと思うと、彼の人生や生きた軌跡を知るという作業が大きく役に立つのではないかと思います。しかし、意外なことですが手塚治虫の決定的な評伝というのは存在しないように思います。私自身、手塚マンガに傾倒して、その創作の深淵について調べたいと思ったのですが、そのような渇望を満たす書籍はとうとう見つかりませんでした。本人が自伝的な文章やマンガを残しているので、それ以上のものが存在しえなかったというのと、その感性について書き切れる人間が当然ながら存在しないということに帰結すると思います。

手塚治虫の人生について概論的に知るには、元アシスタントの伴俊男さんが描いたマンガが多くの取材に基づいていて、なおかつ読みやすいと思うのでお勧めです(本書では伴さんのインタビューも収録されています)。

手塚治虫の人生について知ろうとした時に、心にとどめておきたい貴重な言葉が本書には収録されています。弟・浩さんの言葉です。少し長いですが引用させていただきます。

歴史というものは半分が真実であるとすれば、後の半分はフィクションで構成された物語であるという人がおりますけれども、一人の人間の歴史も全く同じことが言えるのではないかと思います。そういう意味で、多くの作家の先生方が手塚治虫について、さまざまな物語を作っていらっしゃる。その内容がどうのこうの、その信憑性がどうであるかということは、私は既にもうどうでもいいのではないかと考えております。それなりにそれぞれの作品を評価するべきだというふうに思います。つまりよく言われますように、嘘のような真実もあれば、もっともらしい空事もあるということで、私自身がもし仮にあと100年長生きするといたしましたら、2100年頃に手塚治虫が、もし歴史に残る人物になっておるとすれば、どのようにペイントされているかを、自分自身で確かめることができればいいなというふうに感じております。

大森先生から手塚治虫の思い出についていろいろと話を伺って、私も懐かしい思いでいっぱいだったんですが、大森先生が一言いわれました、手塚ファンの方々、手塚治虫といえばどのように思われるかと、さっき一言おっしゃいました。これは各ファンの方、それぞれの想像される手塚治虫像、それでいいんじゃないかと思います。ただ、私も真実ということはやはり一番大切にしたいとかねがね思っておりますので。何が手塚治虫の真実かと言いますとそれは、大森先生以下、小学校時代の友達の方々、それと私と隣に座っている美奈子が少年時代の治虫についての思い出…思い出そのものはやはり真実でありますから…その思い出だけは、本当に私たちだけに残された宝物として、大切にしまっておきたいと思っております。

手塚治虫の感性に少しでも近付きたいと思うのなら、そのルーツを身体に染みこませることがひとつの手段に思います。しかし、手塚の自伝にもフィクションや誇張が多く含まれていて、またメッセージに都合良く脚色されたような痕跡も見られます。彼のむき出しになった人生というのが感じられる書籍は今までなかったと思います。本書は手塚の何も加えられていない、本質に近い感性が感じられる書籍のように思います。それは弟の浩さん、妹の美奈子さん、同級生たちだけでなく、手塚ファンにとっても「宝物」です。その宝物を分けていただけるという点でこの書籍はとても貴重な資料だと考えています。

まとめ

書籍『親友が語る手塚治虫の少年時代』について紹介と書評を書かせていただきました。手塚治虫についてはすでに多くの人が様々な角度から論じており、思い入れの強いファンにとっては本記事は稚拙と感じられる部分があるかもしれませんが、容赦いただきたいと思います。

今回、この本に出会ったのは、女優・園井恵子さんと手塚治虫の関係を書くために、サイトの一部文章の引用をお願いしたのがきっかけでした(その記事についてはこちら)。その際に著者の田浦さんと少しメールでやり取りさせていただいたのですが、出版にかかった経費のほとんどを回収できていないとのお話も伺い、手塚治虫のように知名度が高い方の書籍でもそうなのかと、出版の難しさを感じました。同時に採算を無視して作られたこの本は熱い思いが込められていて、資料として後世に残ることは間違いないでしょう。書籍に携わった方々に心からの敬意を表したいと思います。


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ABOUTこの記事をかいた人

兼業作家。2023年4月『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』(国書刊行会)上梓。歴史全般が興味の対象ですが、最近は大正~昭和の文化、芸術、演劇、映画、生活史を多く取材しています。プロフィール写真は愛貓です(♂ 2009年生まれ)。よろしければTwitterのフォローもお願いします。(下のボタンを押すとTwitterのページに移動します)。