このようなテーマで自己啓発書を読むと、他人を変えることはできない、自分が変われば周囲も変わるという考え方をよく見ます。すなわち、自分次第だということです。
ベストセラー「7つの習慣」では、自分の外部の見方(書籍の中では「パラダイム」と呼んでいます)を意識することで、出来事に対する受け取り方や捉え方を変えるように説いています。
このような考え方はとても有用ですが、一方で、現実には明らかに理不尽なことも多くあります。他人が原因で上手くいかないことは実際にあって、それを全て自分の問題として括ってしまうのは、いささかきれいごとのようにも感じます。
言えるのは、起こった出来事に対して、自分を責め過ぎても心を壊してしまいます。しかし、全て他人のせいにしても、周囲に迷惑をかけるだけでなく、結果的には自分を傷つけてしまいます。他人に原因を求めても、多くは根本的な解決にならず、不満を溜め込むことになるからです。つまり、片方に偏るのではなくバランスが大切ということです。
さて、自分を責めすぎてしまう人への心の対処については、以前に「自分に価値がないと思った時に考えたいこと」で考えを書きました。今回は逆に上手くいかない理由を他人のせいにし過ぎてしまう人について、考えを述べたいと思います。
目次
「他人のせい」「周りが悪い」と考え始めたら心のリフレッシュが必要
上手くいかないことの全てが、自分に原因があるというのは無理があると思いますが、全てが他人のせいというのもまた乱暴な考え方です。
例えば、仕事で自分の力量が認められず、職場に問題があると考えたとしましょう。2度3度転職しても、能力を見出されないとすれば、一度自分を省みて何か問題がないか考えてみるべきです。
異性にモテず、それは自分のルックスが悪いからだと考えたとします。見る目がない人間ばかりだ、こんなふうに産んだ親が悪い、世の中不公平だと不満がつのります。
確かに異性と付き合うには、ルックスが良い方が有利かもしれません。世の中、公平でもありません。異性を見抜く目がない人も多いでしょう。でも、ルックスの好みなどというのは人それぞれで、あまりこだわらない人もいます。それに、モテない理由を全てルックスに求めるのも偏った考え方です。
そのような考えを持つ人は、努力して境遇を変えられるかもしれないのに、変えようのない部分に責任を被せて被害者であろうとします。このあたりは「無力願望」につながる部分もあります。
さて、例をあげてきましたが、現実には他人のせいで思い通りにいかないことは多々あり、公平でないことも山ほどあります。しかし、人生には自分次第で変えられる部分もあり、全てを他人のせいにしてしまう人というのは、この事実を忘れているか、見えない状態に陥っています。
「社会が悪い」とか「誰も私の価値をわかっていない」とか「みんなが私をバカにしている」とかいう考えが頭を支配しようとしていたら、それは自分で修復しないといけません。
「あの人のせいで私の人生が上手くいかない」と頭をよぎるのも悪い状態です。そのような時も心の視野が狭くなっているので、早い段階で心をリフレッシュする必要があります。そのような思考の状態では、周囲や他人と関係なく、自分の仕事やパフォーマンスも大きく低下すると考えられるからです。また、本来ではあり得ない判断をして、取り返しのつかない失敗をしないとも限りません。
閉塞した思考をどう変えていくか
特定のある個人が問題だとしたら、その人から離れるという手段は時に有効です。しかし、この考え方には大きな注意が必要です。
どこにも問題がある人物というのはいるもので、例えばその職場を辞めたとしても、同じような人間と会わないとも限りません。
また、その人に自分から離れてもらうのも手段です。上司にあまりに問題があったとしたら、さらにその上の上司に訴えるとか、労働基準監督署に訴えるとか、自分に火の粉がかからないように注意する必要はありますが、時に反撃が有効な場合もあります。
これは同僚に聞いたある病院での話ですが、理不尽な上司に悩んでいたある看護師は、用意周到にパワハラの証拠を集めて、ある日まとめて労働基準監督署に匿名で訴えました。結果的に病院は大混乱を起こしましたが、その看護師が望んだ通り、職場環境は一新されたそうです。
現在は簡単に録音できる機械もあり、本当に問題がある相手なら、最後の手段としてこのような方法もあるでしょう。
しかし、このような方法を準備するのも相当な時間がかかります。行動を起こす前に、やるべきことがあります。
自分が本当にやりたいことは何か
「この人さえいなければ」という感情は、程度の差こそあれ、世の中にあふれるほど存在します。
その人を排除すれば問題が解決するように感じるかもしれませんが、その考えには注意が必要です。
世の中には異なる価値観の人がたくさんいて社会を形成しています。世界を見渡せば、文化の違いは大きく、そのような中でもお互いの国や地域が共存していかなくてはなりません。
その人は本当にその場から排除されるべきなのか? また、自分が大きな労力を使ってまで、そのようにしなくてはいけないのか? そして、自分はそこまでして、そこの場所(例えば、職場に留まることなど)を守らなくてはいけないのか?
僕はかつて、会社のある幹部が「言うことを聞かない人間がいたら辞めさせたらいい」と言っていたのを聞いたことがあります。その幹部は会社から要職を解かれました。他人の価値観を許容できないようでは、組織で多くの人間を束ねることなど、とうてい難しいでしょう。
また、自分にとって、大きなエネルギーを費やしてまで、その人に固執しなくてはならないのか考えることも大切です。憎しみにエネルギーを使い過ぎては、本当はもっと有意義に使えるはずだった時間や体力を浪費してしまいます。
自分にとって、その相手を排除すること、あるいは固執することは他を犠牲にしてまでやるべきことなのか、冷静に省みることがまず求められます。
自分のやりたいことで成長する
例えば、同僚でとても優秀な人間がいて、その人がいるばかりに、自分の評価が上がらないことがあるかもしれません。また、好意を寄せた異性がいて、そのライバルがどうしても邪魔ということもあるかもしれません。そのような環境ではどうすれば良いのでしょうか。
結局のところ、自分がやりたいこと、できることに集中するしかありません。
自分は何で勝負したいのでしょうか? その同僚が得意な分野で、どうしても勝ちたいと思えば、そこで張り合えば良いと思います。しかし、劣等感に支配されるあまりに、本当は自分が大して価値を感じていない部分で勝負しようとしていないでしょうか。人間には誰しも得意不得意があり、好き嫌いもあります。生活の維持など自分の責任は果たす必要がありますが、それ以外では仕事、私生活の区分なく、一番自分が勝負したいところに時間と労力を使うのがひとつの方法です。
仕事はひとつのスキルで成り立つものではありません。営業も事務も開発もあります。営業の中でも様々なスキルがあります。自分の得意な土俵を見つけてそこを磨けば良いのです。趣味が自分で一番勝負できるものだと思えば、生活費を仕事で稼ぐ必要はあっても、プライベートの時間ではとことんそこを磨けば良いと思います。趣味もスキルも極めていけば、そのうち人が注目するようになるでしょう。そうすれば同僚への劣等感も消えていくと思います。
恋愛にしても「あいつさえいなければ」という考えはたいてい的を外しています。その人がいなかった時に本当に自分が選ばれるかはまた別問題です。他人のことを考えてばかりいる人に魅力は感じません。まず自分を高めていくことに力を注ぎましょう。その末に異性は自分以外の人間を選ぶかもしれませんが、おそらく本当の意味で自分に磨きをかけたなら、そのようなことは気にならなくなっているはずです。「自分に価値がないと思った時に考えたいこと」でお話ししましたが、価値などは見る人によっていかようにも変わるもので、逆を言えば自分を磨いたあなたを選ぶ異性もきっとどこかにいるはずです。
やりきれない気持ちをどう扱うか
ここまでお話ししてきたように、何か上手くいかないと思った時、全てが他人のせいではなく、全てが自分のせいでもありません。
他人を変えたり、何とかしようとすると、大きな労力と時間が必要になります。そのような方法が有効な時も確かにあるのですが、あくまでこれは最終手段です。
どの職場にも、周囲の悪口や批判が絶えない人がいると思います。そのような人は決まって信用されません。他人が問題だと思っていたのに、いつの間にか周囲からは自分が問題だと思われるようになります。
現実には他人に何か不満があっても、その感情を上手く消化してやり過ごすことが多くなります。自分のできることに集中する方が、結果として良いものになります。
しかし、自分が頑張ったとしても、問題の人はそのままです。自分が努力しているのに、その人は安穏と良い思いをしていると考えると、やりきれないですし、消化できない感情が心に蓄積してくると思います。
そのような感情をどのように扱うかは難しい問題ですし、即効的な解決策はありません。自分のことに集中していれば、長い目で見れば徐々に状況は変わってきます。それまでは睡眠を長くとることや、時には気分転換をすること、自分の将来像を考えるなどして、視野を広く持ち、感情を悪い方向に爆発させないことが大切です。
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