天才の仕事には遊び心がある(才能、努力、成長を考える②)

古今東西、天才と呼ばれる人は数多くいて、その仕事、性格、才能の質など違う部分も多いのでしょうが、共通する傾向もあると思います。それはどこか無邪気で子供っぽいというところです。

美輪明宏さんが斎藤孝さんとの対談の中で次のように話しています。

男はロマンチストで、女が現実的だから、女に天才が少なくて男に天才が多いんです。

男は、仕事のほうでは驚くくらい老獪でしたたか、抜け目がなくて、油断ならないというところを持っています。だけど私生活になったら、迷子になるくらい方向音痴だったり、「こんなことを」というような世の中の常識を知らなかったり、ストンと大きなところが抜けています。そのギャップが天才の資質なんです。

アインシュタインなどは、上着のボタンも満足にきちんとはめられない、靴下もいつも両足で違う靴下を履いているというくらい、私生活のほうはまったくダメ。ピカソにしてもジャン・コクトーにしても、「大きな子ども」「狂った子ども」と言われていたぐらい。もうまったく赤ちゃんのまんまだったでしょう。

私が、今までおつき合いさせていただいた、川端康成さんにしても、世間知らずで内向的で子どものような方だったし、三島由紀夫さんも寺山修司さんもみんなそうでした。それでいて、作品はものすごく大人の、冷めた、それは老獪な文章を書いているじゃないですか。

だからその子どもっぽさと深いところを見ている大人のところの落差が、天才の条件なんです。

(引用:美輪明宏、斎藤孝「人生賛歌 愉しく自由に美しく、又のびやかに」大和書房.2004.P209-210より)

その子供っぽさがどのように出てくるかは、人それぞれのように思います。例えば、「漫画の神様」手塚治虫の作品にはあまり評価できないものも多くありますが、名作と呼ばれるものに関しては実にテーマが深淵で、構成においても感嘆するものがあります。ある作品では、全ての物語の欠片が最後に美しく結集するような構成を取り、ある作品では、何気ない序盤のひとコマが物語全てを代弁するような構成(それに最後の最後で気付かされる)をしています。

技巧だけでなく、人間を見つめる優しさや懐の広さ、その複雑さを捉える視点も他の追随を許しません。その巨大な世界観はどこか人間離れしていて、本のあとがきでそれを「宇宙的」と評していた方がいたのですが、よく納得したのを覚えています。

おそらく二度と現れない規模の大天才だと思うのですが、一方、それだけの巨匠でありながら、ずっと年下の若手漫画家にもライバル心を燃やしていたと言いますし、アニメーション会社を設立しましたが、その経営は全くダメで倒産させてしまいます。それは経営手腕の問題だけでなく、どこかビジネスマンにはなれない良い意味での子供らしい性質の問題があったと僕は考えています。

他にも子供っぽさを連想させる天才として、頭に浮かぶのが馬場のぼると円谷英二です。お二人の性格はよく知らないのですが、仕事の内容に遊び心が見える点で、こちらも良い意味での子供らしさを残している人なのではないかと思っています。

馬場のぼるは昭和20年代から30年代にかけて、手塚治虫、福井英一(昭和20年代に活躍したスポーツ漫画の先駆者的存在)とともに「児童漫画界の三羽ガラス」と呼ばれた人気少年漫画家でした。しかし以後は大人漫画、絵本の世界へと移ります。

戦後生まれであれば馬場のぼるといえば少年漫画よりベストセラー絵本「11ぴきのねこ」のイメージの方が強いのではないでしょうか。かわいいけど、食い意地が張っていて、楽しむことが大好きで、時には力を合わせるけど時には抜け駆けをしようとする……そんな11ぴきの猫たちの楽しい絵本です。

僕も猫を飼っているのですが、この絵本はよく猫を捉えているなぁと思います。さらに言うと、頭が良さそうだけど、欲に正直で、間抜けな面もあるけど背伸びして、という猫の姿は、どこか最近の子供たちが抑圧されてしまった古き良き「子供らしさ」を残しているようにも思います。

この絵本を見ていると、作者の馬場のぼる自体もどこか遊んで楽しんでいるような、そんな感覚を覚えます。それゆえに1967年の第1作出版から現在まで子供から大人まで支持されているのではないかと思います。

さて、円谷英二は「ゴジラ」「ウルトラマン」など数々の特撮作品を生み出した、言わずと知れた「特撮の神様」です。男性なら子供の頃、どこかでウルトラマンや怪獣ものの映画やテレビを見ているのではないでしょうか。

怪獣が都会のビル群を壊すのは健全な破壊願望を体現しているように思います。子供の頃に積み木を組み立てて、自分で崩して遊んだことはないでしょうか。砂場でお城を作って最後に壊す時も楽しくなかったでしょうか。そのような破壊によるカタルシス(浄化作用)を怪獣を通じて表しているように思います。

そして、ゴジラやウルトラマンを作りだしたのはロマンチストな大人の想像力でしょう。円谷英二は残酷なもの、血が流れるものは厳しく禁じたと言います。目を背けたくなる現実はリアリズムのテレビドラマがやってくれる、自分たちは見ることができない空想の世界を表現すべきだというのがスタッフへのメッセージでした。

円谷が死ぬ直前、最後に企画していたのは「ニッポン・ヒコーキ野郎」という映画でした。若い頃、飛行機の操縦士になろうとして断念したことが頭に残っていたのでしょう。円谷もまた子供の心を持ち続けた天才と言えます。

天才と呼ばれる人に共通することですが、子供の良い要素を残しつつも、それ以外の部分は高度な質が支えています。

「11ぴきのねこ」を見てもらうとわかりますが、馬場のぼるの絵は一見すると気ままにフリーハンドで書いたように見えますが、グニャグニャな道も、窓やタイヤが一見不均等な車も、全体で見ると見事な調和が保たれています。それは高度な絵画の技術の裏付けによるものです。

初期の円谷プロダクションの作品というのは、子供向けという括りでありながら、大人の知性を多く含んだ作品が並んでいます。ゴジラはビキニ岩礁沖で行われた核実験のために古代の恐竜の末裔が変貌した生物ですし(作品によって微妙に設定が異なります)、ウルトラマンに登場する宇宙人のダダはダダイズム(1910年代の前衛芸術運動)からその名前を取り、怪獣ブルトンはフランスの詩人、アンドレ・ブルトンから名付けられたと言われています。

有名なバルタン星人の名前は、当時紛争が絶えなかったバルカン半島から付けられたとされています。もともと、バルタン星人は核実験の失敗によって故郷を追われて、地球に移住しようとした設定でした。大変な状況の母星と当時のバルカン半島の状勢を重ね合わせた命名と言われています。なお、バルカン半島に当時の人気歌手、シルヴィ・ヴァルタンの名前をかけたという説もあります。

社会問題への意識と知性が作品に単なる子供番組にとどまらない奥行きを与えています。また、円谷が戦前に特撮を担当した映画「ハワイ・マレー沖海戦」はその戦闘シーンがGHQに実写と勘違いされるほどの出来栄えでした。

円谷プロの作品全てに円谷英二が関わっているわけではないのですが、特撮の創世記を作った初期のゴジラやウルトラマンは、そのような円谷の子供らしさと質へのこだわりを反映させていたのだと思います。

長く書きましたが、天才の仕事には遊び心と言いますか、良い意味での子供らしさが生かされていると言えます。楽しんで、ワクワクしながら物事に取り組んだり、時間を忘れて没頭したり、既成概念にとらわれずに空想してみたり、子供からは学ぶところがたくさんあります。

天才ではない僕のような人間にしても、子供の心を持ち続けるというのは大切なのではないかと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


ABOUTこの記事をかいた人

思索にふけるのが好きな無名の作家・ブロガーです。職業は理学療法士、整体師。特技はオセロ(五段の実力)です。将棋、競馬など勝負ごとやゲームも好きですが、最近はブログが忙しくてあまり手を付けられていません。ブログに興味を持っていただいた方は、更新情報もつぶやくので、Twitterのフォローをお願いします。(下のボタンを押すとTwitterのページに移動します)。