過去の恨みがなくならない人に伝えたいこと

テレビのニュースを見ると、怨恨による犯罪が後を絶ちません。無差別でなければ怨恨なので、当たり前といえば当たり前なのですが……

他人に危害を加えれば、自分も相応の罰を受けることが法律で定められていて、そんなことは誰もが承知しているのに、いざ、その理性のブレーキが作動せずに犯罪にまで及んでしまう。

ここまでいかなくても、昔の恨みが忘れられずに、何かのきっかけで思い出すと、怒りが沸き起こり、やるせない気持ちになる、そんな人は多いのではないでしょうか。

そのような恨みは覚えていても何の得にもならないのですが、そんなことは分かっていても、記憶に刻まれて忘れることができません。

例えば、小学生の時にひどいイジメを受けた人が、イジメていた人間に対して、いつまでも恨みを持っていることがあります。「考えてもどうしようもないことだけど、できればその人たちが不幸になってほしい、復讐がしたい」と話します。

その気持ちを持っていたとしても、心に秘めているだけなら、仕方ない部分もあります。人間ですから、そのような感情を全て否定することはできません。理性をなくして罪を犯したり、他人に迷惑をかけなければ、それは人間ゆえに持つ苦悩としてやむを得ないものかもしれません。

しかし、苦しみを胸に抱えたまま生き続けるのは辛いものです。少しでもその傷みがなくなればと思い、考えを進めていきます。

そのような過去の恨みを忘れるには、その出来事に決着を付けなくてはいけません。もし、恨みを持っている人間をナイフで刺せば恨みは晴れるでしょう。

しかし、そのような方法を取らなくても、恨みを取り除く方法があります。

子供の頃にひどいイジメを受けていても、大人になって立派になり、本を書くような人もいます。そのような人はイジメのことを根に持っていません。著書を読んだだけで、直接聞いたわけでないので絶対とは言い切れませんが、おそらくそうだろうと思います。

恨みを忘れられない人は、その原因が相手にあると考えています。それが起こった時点では確かにその通りなのですが、それが何年も経って現在は起こっていないにも関わらず、恨みを持ち続けているとすれば、それはもはや相手の問題ではありません。

相手を許せないのではなく、その起こった出来事を受けざるを得なかった当時の自分を許せない、受容できていないのです。

ナイフで刺すという行為は、相手が不幸になることよりも、自分がその相手に立ち向かったという事実に対して心が晴れます。そこでようやく当時の自分を許せるのです。

有名になった人が、過去にひどいイジメを受けていても、その記憶にとらわれないのは、その後の成長により自己肯定感が強くなっているからです。

恨みを手放すには、その許せない自分と対峙して許す、受容する必要があります。自分の人生を他人のせいにすることは、ある意味で楽なのですが、自分を受容する行為は人生に責任を持つということで、時に辛いことです。しかし、罪を犯して、取り返しのつかない事態になることだけは避けなくてはいけません。

過去の恨みをどうしても取り除きたい時は、自分の弱さと向き合う必要があるのです。

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思索にふけるのが好きな無名の作家・ブロガーです。職業は理学療法士、整体師。特技はオセロ(五段の実力)です。将棋、競馬など勝負ごとやゲームも好きですが、最近はブログが忙しくてあまり手を付けられていません。ブログに興味を持っていただいた方は、更新情報もつぶやくので、Twitterのフォローをお願いします。(下のボタンを押すとTwitterのページに移動します)。