僕のオセロ上達法②

連盟から紹介された練習会にはじめて参加して、そこで小学生に惨敗したわけですが、オセロへの情熱は衰えず、それからも月1回練習会に参加しました。

当時は他に有段者とオセロを打てる機会がなく、1ヵ月後がとても楽しみでした。

6月には全日本選手権の予選に出場、通過5枠のうちの4位となり、初めて全日本の出場権を獲得しました。T君も見事通過して2人で全国大会に出場できることになりました。

全日本選手権に出場すると当時は初段が認定されました。本格的にオセロを始めて半年も経っていなかったのですが有段者になることができました。

当時のオセロのレベルは現在と比べるとだいぶ低く、当時の僕たちのような始めて数ヶ月のプレイヤーでも予選突破できる余地がありました。現在の状況ではなかなかこのような幸運はないと思います。そのような意味では始めた時期も良かったのだと思います。

はじめての全日本選手権では前日に、親が予約してくれた新宿の京王プラザホテルに泊まりました。大人になってからもなかなか行くことのない良いホテルでした。でも、当時の僕はビジネスホテルに泊まったこともろくになかったので、良いのか悪いのかもよく分かりませんでした。ちょっと背伸びをして、枕の裏にチップを入れたのを覚えています。今思うと少し恥ずかしい思い出です。

当時の全日本選手権は午前中に4人ずつ16のグループに分けて、総当たり戦を行い最上位者が午後の決勝トーナメントに進出するという形でした。残念ながら僕は最初に2連敗して早々に予選敗退が決定しました。3戦目に1勝したものの、あっけないはじめての全日本選手権でした。

T君のグループは翌年に世界チャンピオンになる村上健五段(当時)もいました。僕とT君は「五段だって、すごいなー」と羨望の眼差しで見ていました。この時見た村上さんの「五段」というのが、その後も僕のちょっとしたこだわりになりました。「いつか、あの時の村上さんみたいに五段になりたい」とおぼろげに思い続けました。

村上さんは五段で全日本優勝の経験はありませんでしたが、当時から実力は認められていて、優勝候補の1人という扱いでした。T君も勝てるわけないと思っていたらしいですが、対局は接戦となり、終盤の入口くらいまでは互角の戦いをしていました。

結局T君は敗れたのですが、その棋譜を見た滝沢八段が後に「無名のT初段に大器の予感」と言って高い評価をしました。僕もT君も最終的には1勝2敗でしたが、その内容で僕はずいぶんと後れをとっていたのでした。

全日本が終わってからも、僕は月1回の練習会に参加し続けました。しかし、周囲から高い評価を得たT君はそれを機にオセロから遠ざかっていきました。全日本から1ヵ月後の地方大会で僕は大会初優勝をしました。際立った才能があったわけではないのですが、そのように最初のうちから成績に恵まれたことで、モチベーションが上がり、さらに練習意欲も高まったのだと思います。

それから地区の大会では時々優勝できるようになりました。翌年は浪人生のために全日本は出場せず、翌々年に迎えた2回目の全日本選手権で、予選を突破、決勝トーナメント1回戦も勝ち進み、準々決勝では敗れましたが6位の成績を残すことができました。

その後も20年近くオセロをやっていますが、いまだにこの6位が僕の全日本の最高成績です。この時、当時の規定に従い三段に昇段しました(現在は全日本4~8位は五段が認定されます※)。

※ ただし、連盟の昇段規定では一度の昇段は二段までとしており、五段の認定を受けるにはすでに三段である必要があります。例えば、初段が全日本4位になったとしても昇段は三段までとなります。ただし、優勝者については七段への昇段が認められています。

この年から僕は理学療法士の専門学校に通っていましたが、T君も市内の専門学校に通っていて、学校帰りに待ち合わせて大きな公園のベンチでオセロをしていました。

練習会から離れていたT君でしたが、同級生と会う楽しみと合わせて、週1回くらい練習に付き合ってくれました。盤は高校のような紙ではなく、マグネットの携帯盤を使いました。この練習対局では時間制限を設けなかったために2人とも延々と考え続け、2時間くらい公園にいましたが1回ではたいてい対局が終わりませんでした。

徐々に暗くなり、オセロ盤が見えなくなったら紙に局面を書いて終了、また1週間後となりました。

次に対局するまでの間、紙に書かれた中断局面を見つめて考えていました。盤に並べるのはフェアじゃないので、あくまで局面を見るだけです。1つの局面を学校の休み時間などに延々と考え続けました。合計すると何時間も考えていたと思います。

このような一見無駄とも思える時間を費やしたことが大きな力になったように思います。当時、世界チャンピオンになっていた村上さんが「終盤20箇所空きを延々と読み続ける」という練習をどこかで話していました。

僕の練習はそれほどではありませんが、根気や集中力を養う意味で、初期の段階でこのような密度の濃い練習ができたことは後に生きていると思います。頭で理解したというより、身体に染みついたような感覚があるのです。

仕事や他の趣味の関係で、オセロの練習に時間を取れない時期も多々ありましたが、大きく成績が落ちることはありませんでした。ピークが過ぎるととたんに能力が落ちるプレイヤーもいる中で、僕は初期のこのような練習が生きているのだと考えています。

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兼業作家。2023年4月『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』(国書刊行会)上梓。歴史全般が興味の対象ですが、最近は大正~昭和の文化、芸術、演劇、映画、生活史を多く取材しています。プロフィール写真は愛貓です(♂ 2009年生まれ)。よろしければTwitterのフォローもお願いします。(下のボタンを押すとTwitterのページに移動します)。