僕のオセロ上達法③

僕がオセロを始めた頃は、国内メジャー大会(全国規模の大会)は夏の全日本選手権と春の名人戦しかありませんでした。名人戦は現在と違い、各地区の代表者1名が名人挑戦をかけて競い、そこでの優勝者が名人に4番勝負で挑むというものでした。王座戦も当時は新宿王座戦と言って地方の一大会に過ぎませんでした。

名人戦が現在のようにオープン形式(誰でも出場可能な形式)になったのが2000年、王座戦が現在のような所定大会での条件を満たした者による選抜方式になったのが2006年です。ここで国内のメジャー大会が3つとなりました。メジャー大会では段級位認定が九段まで可能です。地方大会が四段までが上限なのと比べると大きな差があります。また、無差別の部優勝者には世界選手権の出場権が与えられます。多くのオセロプレイヤーがメジャー大会を目標として日本中から集まります。

王座戦がメジャー大会に昇格した2006年が現在の日本オセロ界の大きな骨格が整った時期と言えるでしょう。

2回目の全日本選手権で三段に昇段した後も、僕はオセロに打ち込みました。当時、自分の地区では大会が年に5回しかなく、それも練習会の時と兼ねていたので、実戦の機会に恵まれませんでした。

現在はインターネットを通じて部屋にいながらに対戦ができますが、当時は大会に出向いて実際に対局するのが唯一の機会でした。東京では月に1回関東オープンといって、チャンピオンクラスが出向く大会があって、地区による格差が顕著に出ていた時代でした。

そのため、自分で大会を企画、開催するという行動に出ました。そこで生まれた棋譜には自分で解説を付けて、周囲の協力を得て冊子にして配布しました。実力的にとても他人の棋譜に解説できるレベルではなかったと思うのですが、当時は怖いもの知らずで一心不乱に取り組みました。

このあたりが僕の練習量のピークだったように思います。

T君との練習も続けていましたが、専門学校の最終年になり病院実習などで時間が取れなくなると、その取り組みは自然消滅しました。

学校を卒業して就職するとさらに練習量が減りました。仕事で忙しかったというよりも、大学の通信学部に通ったり、文章を勉強するのが楽しくなって、オセロの優先順位が下がっていったのが原因だと思います。

十代で好成績を残して将来を有望視されたプレイヤーが、その後成長が止まってしまうことはよく見られます。オセロはプロ制度がなく、それに集中していれば良いというものではないので、仕事や私生活の影響を大きく受けます。それに十代後半から二十代にかけては多感な時期であり、オセロ以外でも楽しいことと多く出会います。その中でオセロ以外の選択肢を優先させるということは、自然によく見られることだと思います。

その後も地区の大会では時々優勝できて、2000年代の真ん中くらいで四段に昇段、平成の終わりがけに五段に昇段することができました(正確な年を覚えていないので……すみません)。

初めての全日本選手権で村上さんの「五段」を見て憧れて、それから20年以上の歳月をかけて、ようやく到達したと言えます。

オセロの人生での優先順位が下がった後、やめてもいいかと思った時期もあるのですが、不思議と縁があって続いています。メジャー大会にはめったに参加しないのですが、そこで知人に会うと楽しく話すことができます。

時間は多くありませんが、練習もいろいろと続けています。大会に集中的に出ていた時期もありますし、中島哲也八段が運営するオンラインオセロ教室をよく覗いていたこともあります。僕のような高段者でも多くの気付きがある良い教室だと思います。アプリの詰めオセロもよく解いています。これなどは練習というより、空き時間があるとやってしまう習慣のようになっています。最近は子供に教える機会が時々あり、また情熱が少し戻り、練習も量は多くないですが行っています。

僕のオセロ人生で良かったことは、節目で大会の成績に恵まれて意欲が向上したことや、友人がいて一人ではできないような密度の濃い練習ができたこと、その他にも様々な縁に恵まれたと考えています。

上達の方法論で持論を言うなら、面倒くさがらずに自分で考える練習をすること、いくつかの練習を試してみて自分自身に合った練習法を見つけることではないかと思います。

僕も20年以上オセロに関わっていて、ほとんどやらない練習というのもあります。反面、初期からずっとやっている練習というのもあります。しかし、これも試行錯誤であり、今後変わっていくことも可能性としてはあります。僕自身、まだ成長できるのでないかという感覚があるのです。

結果的に言えば、僕は20年以上かけて五段であり、それ以上の上達論を語ることはできません。チャンピオンクラスはもっと早く高い成長をしていて、それに適した練習方法もあると思います。

しかし、そのレベルであっても練習の一番大切な本質は変わらないのではないかと考えています。コンピューターが発達していますが、その答えをそのまま受け取るのではなく、自分で頭を使ってとことん考えて、量をこなすということです。

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兼業作家。2023年4月『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』(国書刊行会)上梓。歴史全般が興味の対象ですが、最近は大正~昭和の文化、芸術、演劇、映画、生活史を多く取材しています。プロフィール写真は愛貓です(♂ 2009年生まれ)。よろしければTwitterのフォローもお願いします。(下のボタンを押すとTwitterのページに移動します)。