僕はオセロを競技として20年間やってきて、数多くの世界チャンピオンと接してきました。文章の勉強を長くする中で、テレビ局の大きな賞を受賞するようなライターにも会ったことがあります。大企業とは言えないかもしれませんが、リハビリという仕事上で会社の社長さんを担当することも多々ありました。いずれも何かの才能に秀でた人だと思います。
しかし、僕が今までで一番才能を強く感じたのは、中学時代に会ったある同級生でした。名前を仮にY君とします。当時、僕は絵を描くのが好きで、将来漫画家になりたいと漠然と考えていました。中学生になった時、小学校の違うY君と同じクラスになったのですが、その描く絵をはじめて見た時、僕は驚きました。きれいなデッサンもあれば、コミカルな風刺画のような絵もあり、どれもが大人のプロが描いたと思うような絵だったのです。
Y君の絵に比べると、僕の描く絵は本当に就学前の落書きレベルであって、自分の才能のなさもあったのでしょうが、Y君のとてつもない才能に驚愕したのを覚えています。彼は絵を描くだけでなく、当時まだ一般には普及していなかったパソコンを使って、独自にアニメーションを作るなど多彩な才能を示していました。電子機器関係にも興味を強く持っていました。
その後、僕は親の転勤の関係でその中学を離れることになりました。Y君とは年賀状でつながりがあり、時々、彼やその仲間が描いた同人誌的な冊子を送ってくれました。その冊子の1箇所にはまだ世間的にはそれほど名前が知られていなかったオウム真理教のことが風刺的に書かれていました。僕は無知でしたが、彼はそのようなカルト的なことにも興味を示していました。事件が起こるよりも前の時期の話です。僕がお返しに自分が書いた同人誌を送ると「もっとデッサンを勉強しましょう」と返事が来たのを覚えています。
Y君は工業系の大学に進み、その後、美大に入りなおしましたが肌に合わずに中退したそうです。デザインのコンクールに入賞したこともありましたが、特に目立った活躍はせずに現在に至っています。年に1度の年賀状ではインドの絵葉書など外国に行った時のお土産が送られてくることもありました。そのような外国の文化にも興味を持っていました。
その後、しばらく年賀状も途絶えていたのですが、ある時に急に懐かしくなり、暑中見舞いを送ってみました。ずいぶん時間が経っていたので音信不通で返って来ないことも覚悟していたのですが、嬉しいことに返事がきました。そこで、お互いに住む場所は離れていましたが、僕が向こうに行く用事がある時を見つけて一度会うことにしました。中学を転校して以来、すでに20年以上が経過していました。
約束の場所に来た彼はすぐに分かりました。もともと身体が小さい中学生だったのですが、身長が伸びて、でも横幅は変わらず、痩せていてどこか青白い顔色に見えました。「あまり身体は丈夫じゃない」と話していました。親もとでアルバイトをしながら生活しているということでした。与えられた2時間ほどの間に、僕がY君の才能をいかに評価していたか、その才能を世の中に出さないともったいないという思いを伝えました。「よくそう言われるんだけどね、僕はどうすれば世の中に自分を出せるかがわからないんだ」と話していました。
その後、年賀状でのやり取りはあるもののY君とは会っていません。僕は今でも出会った中で、才能を感じさせられた人の筆頭としてY君をあげます。それだけにそれほどの才能がありながら、何の活動もせずに世に出れないのが不思議でならないのです。
彼を思い出すと、才能を開花させる条件とは何かと考えてしまいます。彼に足りないものを推測すると、コミュニケーション能力、体力、自分をプロデュースする力、あとは人生の目標を作る能力のようにも思います。才能があっても前に進む推進力が足りないように感じるのです。もちろんそれらがなくても運がよければ社会に見い出されて活躍することもあると思いますが、それらの要素が世に出るための助けになるのもまた事実だと思います。
僕は多分、彼と比べると芸術的な素養は乏しいのだと思います。そんな僕から見ると、才能があってもそれが開花しないというのはどこか皮肉な気がします。暑い季節になると、彼と再会した2時間を思い出し、時にそんな考えに浸るのです。
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