人生には多くの危機が存在します。日常に頻回に起こる小さなトラブル、人生で2度と遭遇しないような大きなトラブル、突発的なもの、前もって予兆があるものなど様々だと思います。
危機を乗り越えることで成長できるのは事実ですが、その危機が人生の致命傷になってはいけないので、そのような大きなトラブルはできることなら避けたいところです。
天災や家族に起こった問題など、予測ができないものもありますが、予兆があるトラブルもあります。
しかし、トラブルが起こる前に行動を起こすのには決断がいります。実際に災害の危険が発令されても、全ての人が避難所に移動するわけではありません。平成30年の西日本豪雨では、広島市全域で避難した人は10%未満で、被害が大きかった坂町総頭川流域の土砂災害警戒区域でも半数に満ちませんでした(国土交通省調べ)。
第二次世界大戦下でナチスにより収容所送りにされたユダヤ人の方々は、まさかここまでの迫害が起こるとは思っていなかったでしょう。もし、予測していたとしたら、早い段階で手段を選ばずに安全圏に逃げたように思います。
このような歴史は我々に大きな教訓を与えているように思います。後に大きな災厄につながるケースでも、人々は予測を誤るということです。これはその当事者の人たちが愚かだったわけではありません。そのような事態でも、人間は環境に変化を起こすような行動には消極的ということです。
そうかと言って、小さな出来事を気にし過ぎても生活ができなくなります。大きな危険の前兆をどのように判断すべきでしょうか。
例えば、大地震が起こると言われている地域でも、簡単に引っ越すことはできないでしょう。住み慣れた環境や仕事の関係もあります。また、確率の高低はあるにせよ、日本のどこにいても地震の危険からは逃れられません。しかし、家具をあらかじめ固定しておくとか、非常食を用意しておくとか備えはできます。
豪雨であれば、水域と自宅との距離を考えて、非常時に危機がどのくらいの速度で身に迫るかは推測できます。河川、池、田んぼなどが近い場合は、早めの避難が必要なのは理解していただけると思います。
人間同士のトラブルにおいても、身近な関係であれば無闇に相手を刺激しないことが大切です。「窮鼠猫を噛む」という言葉があるように、追い詰められた人は普段では考えられない行動を起こすことがあります。
危険を100%予測して回避することはできませんが、可能性を減らすことはできます。天災、人災ともに何かが起こっても致命的な被害を受けないように対策を講じることが大切です。
そして、最後に危険かどうか判断するのは、直感だと思います。
テレビや新聞で報道される事件やトラブルは、多くが最悪までこじれた事例です。それらを知り、歴史の事例を学ぶことで、直感を磨くようにしましょう。
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