三国志演義に「鶏肋」というエピソードがあります。劉備を大将とする蜀軍と曹操率いる魏軍は、漢中という領土を巡って対峙していました。戦況は蜀軍に有利で、曹操は戦闘を続けるか撤退するかに悩みます。
そんな時、曹操の食卓の一皿に鶏肋が出ます。鶏肋とは鶏の肋骨部分のことです。「鶏肋は食べようとしても肉がほとんどない、しかし捨てるには惜しい味がある」。戦闘を続けることで被害は増える、しかし領土を諦めるのは惜しい……現在の戦況を鶏肋と重ねて思案に暮れていました。
そんな時、部下が曹操の指示を仰ぎに来るのですが、思案で頭が一杯の曹操は気がつかず、ただ「鶏肋、鶏肋」とつぶやきます。
真意を測りかねた部下が困って、楊修という人物にこのことを話します。彼は曹操がつぶやいた鶏肋の意味を説明し、利益のない戦闘を放棄して撤退する命令だと解釈しました。そして楊修は撤退の準備をするように命令します。
曹操が周囲の騒がしさに気がつくと、軍が撤退の準備をしています。理由を聞いた曹操は激怒します。以前から曹操は楊修の才能を認めつつも、それを誇示する態度を面白く思っていませんでした。曹操は楊修の勝手な行動を咎めて死罪にします。
曹操はその後、楊修の行動を否定するように、軍勢を進めますが蜀軍に大敗します。
これが「鶏肋」のエピソードです。
「三国志」とは中国の三国時代(西暦184年〜280年頃)を書いた歴史書で、蜀に仕えていた陳寿という人物による著作です。しかし、私たちが一般に「三国志」として読んでいるのは、さらに後年にフィクションを加えられて成立した小説であり、前者を「正史」、後者を「演義」として分類することが多いです。
日本では吉川英治が三国志演義をもとに書いた「三国志」が有名であり、横山光輝による漫画の原作にもなっています。本が苦手という人は漫画から読んでも良いと思います。
「鶏肋」のエピソードのように、惜しいけど捨てるという行為は日常でも多々あります。
どんなに質の良い商品と分かっていても、自分に使用する用途がなければ、それは必要がないものです。魅力的に映りますが、鶏の肋骨と一緒で身になる部分はありません。
スポーツ選手で100年に1度の才能を持った選手がいたとしても、自分のチームにすでに同じ役割のスター選手がいれば、獲得する可能性は低いでしょう。
先日、職場の同僚が退職した時も、とても人柄が良い方で名残惜しいと思ったのですが、ではプライベートで会う機会を想像できるかと言うと、そういうわけではありませんでした。惜しいと思っても、お互いに必要がなければ縁が切れるということをあらためて感じました。
大学にしても職場にしても、離れる時に多くの人との繋がりが切れました。しかし、そのような中でも残っている人間関係もあります。1度切れてもまた繋がる縁もあります。
物にせよ人との繋がりにせよ、囲まれていた方が安心なのかもしれませんが、余分なものが増えるほど自身の生き方がぼやけてしまうように思います。
僕の場合、本が欲しい、あのセミナーに行きたいと、あれもこれも目が移るのですが、最近は良いものだと思っても、すぐに使わないと思うものには手を出さないようにしています。
人にしても物にしても、必要であれば、また縁で繋がるように思います。
「星の王子さま」の著者であるサン・テグジュペリの言葉に「完璧とは何も加えるものがなくなった状態ではなく、何も削るものがなくなった状態である」というものがあります。
それは人生においても当てはまる真理なのかもしれません。
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