不思議なことですが、世の中には運が良い人と悪い人がいます。「わたし、本当に運がいいです」と自ら言う人がいる一方で、運が悪い人はアクシデントが立て続けに起こります。飛び石が車のフロントガラスを割るとか、車上荒らしに遭うとか、偶然でしか起こりえないことが、短い期間で複数回起こるような人がいます。
このような差はなぜ起こるのでしょうか?
良いことばかりという人生もありませんが、悪いことばかりという人生もありません。例にあげたトラブル続きの人にしても、毎日飛び石とか車上荒らしに遭うわけではありません。問題はその良いことと悪いことの比率で、どちらかに偏るということはあるかもしれません。
では、そのような比率の偏りはなぜ生まれるのでしょうか?
運が良い人には、いくつかの共通点があるように思います。今回は僕が感じた運を高める習慣について書いていきたいと思います。
運が良い人に基本的に不幸な人はいませんから、運が良くなる方法というのは幸せになる方法とも言えます。全てを備えてなくても大丈夫です。でも、なるべく多くの点を備えていた方が、より運は良くなるように思います。
目次
笑顔でいること
運が良いという人で、しかめっ面をしている人はいません。運が良いから笑っていると言う人もいるのかもしれませんが、そうではないと思います。笑顔が運を引き寄せているのです。
笑顔というのは、相手に敵意がないことを伝えます。いつもニコニコしている人というのは、周りも話しかけやすいですし、良好な人間関係を築きやすいです。
そのような人為的な作用でなくても、笑顔には何か不思議な力があって、運を上昇させるのではないかと思います。
将棋棋士の米長邦雄さんは「今運の女神は笑顔と謙虚さを好む」とよく書いています。実業家で多くの著書を出版している斎藤一人さんも笑顔の効用を説いています。
楽しくもないのに笑えないという人もいるかもしれませんが、無理にでも顔に笑顔を作ると、不思議と怒ったり、憎んだりする感情が減ってきます。感情が表情を生むように、表情も感情を生むのです。
運が悪いと思っている人は、まずは普段の生活の中で笑顔を増やしてみましょう。
謙虚であること
米長邦雄さんが、笑顔とともに運を上げるのに大切と言っていた要素です。
言葉で謙虚と言っていても、実際に接してみたり、言動を見ると全然謙虚でないという人が多々います。不祥事を起こした会社役員や政治家たちも口では「謙虚」という言葉を言いますが、その言動をテレビで見てみると、謙虚とは程遠いことがままあります。
謙虚とは何かと言えば、それは「自分を知っている」ということです。自分自身をよく知って、それに合わせた言動であれば、違和感はないはずです。反感を買う会社役員や政治家たちは、肩書きを持って自分の存在を誇示しているだけで、その中身について語れるものがありません。
そもそも、どんな肩書きがあろうとも、優れた業績を残していようと、他人に傲慢であることや、特別扱いされる理由にはなりません。自分を知れば知るほど、足りない部分がわかり、むしろ謙虚になるはずなのです。
それが分かっていないために、テレビを通じて人々の反感を買うのです。
人間が感じることなので、人智を越えた存在が気付かないはずがありません。謙虚さがなくなることで運が低下するのも頷けます。
悪口を言わないこと
悪口ばかり言う人の人相はだんだんと悪くなっていきます。それに悪口を言い合う人の周囲は淀んだ空気になります。程度の問題はありますが、悪口を言うことは運を低下させる原因になります。
もし歩いていて、知人の集まりが悪口を言い合っていたら、どんな話か聞きに入るのか、それとも近づかないでおきますか?
前者なら運を自ら落とすようなものです。後者なら少なくてもひとつ、運が上がる要素を持っています。悪口というのは、笑顔や謙虚の対極にある行為です。運が低下するのも自然に納得していただけると思います。
恩を返すこと
恩を返すことも運気を上げるために大切なことです。直接恩を受けた人に返さなくても、誰かに同じように親切にすることでも良いのです。誰かが行った善意をつなげていくことで、自然と世の中に善意があふれていくことになります。
恩を返す対象は人だけではありません。例えば、野球から大切なことを学んだり、楽しい思いをしたなら、野球に恩を返さなくてはいけません。恩を返さないということは、もともと誰かが育てた資源を享受だけして、そのまま去って行くようなものです。
喜んだり楽しんだりすると自然に人は笑顔になります。恩を返す行為で笑顔をたくさん生み出すことで、運も上がっていくのです。
対価を払うこと
自分が手に入れたものについては必ず対価を支払うようにしましょう。物やサービスには価値というものがあります。本来の価値よりも値踏みするような行為は運気を下げます。
安い方が財布事情が助かるというのは理解できます。しかし、物を生産したり、サービスを提供している人にも生活があります。自分勝手に安さを要求すればどうなるでしょうか?
価格破壊という名のもとに、利益がほとんど出ないような価格で商品が売られていることがあります。それを買うなとは言いませんが、そのような価格は生産元の生活を圧迫し、長い目でみれば市場に出回る商品の多様性が失われます。自分の首を絞めることになるのです。
最近は本来の価値というものを考えず、安さ(自分の利益)ばかりを追求する風潮が強まっているように思います。幸運の神様という存在がいるとすれば、おそらく利己的な行為は嫌うでしょう。対価を支払うことというのは、長い目でみれば自分たちの生活を守ることにつながるのです。
見返りを求めないこと
人助けしたり、善行を積むのは尊いことです。運も良くなると思います。しかし、これには忘れてはいけないことがあって、見返りを求めてはいけないということです。見返りを求めた行為でも、運を落とすとは言いませんが、運が上がることはないのではないかと思います。
動機はどうあれ、人助けや善行は奨励されるべきことだと思います。しかし運を良くするという観点に限って言えば、やはり見返りを求めることはやめておくべきです。
もし、幸運の神様が天から人助けしているところを見ていたとしても、同時にその人の内面からあふれんばかりに、見返りを求める言葉が聞こえてくるわけです。それで運を上げようと思うかということです。
運ということを考慮しなくても、見返りを求める行為は大きな代償を伴います。それが大きければ大きいほど後々関係を悪くする原因になります。それはお礼や感謝を求めるという以外でも、その行為によって自尊心を高めるなど満足を得るというだけでも良くありません。
見返りを求めると言うことは、結局のところ損得で動いていて、得がなければ不満が募ります。最初は小さな得で満足していても、時間が経つことや、何かのきっかけで大きな利益を求めるようになり兼ねません。人間ですから完全に何も求めないのは難しいですが、なるべくその欲求は小さくするように心がけましょう。
許すこと
過去のことをいつまでも根に持っている人がいます。他人を許せないだけでなく、自分を許していない人もいます。そのような人は心の内から外に向けて、怒りや恨みの気を出します。笑顔が周囲の空気を丸くして運が良くなるとすれば、怒りと恨みは周囲をとげとげしく、きつい空気に変えて運を下げます。感情は友達みたいなもので、心の中に怒りや恨みがいると、喜び、楽しさといった感情は入りづらくなります。
その人がたとえ素晴らしい人だったとしても、過去にそのような引っかかりがあると、なぜか今ひとつ運が良くなりません。過去が全ての原因になるわけではありませんが、「理由は分からないけど、ずっと運に恵まれていない気がする」という人は、自分と向き合って、過去を浄化していく必要があるのかもしれません。
比べないこと
他人と比べることも運を落とします。他人と比べて優越感に浸っても、その人を羨ましがっても、運は良くなりません。他人と比べて感情を生むという行為はどちらにしても謙虚さがありません。その根底には成熟していない自己中心的な心理があります。
幸運の神様は通じて利己的な姿勢を嫌うように思います。利己的でも好むとすれば、次の「ともに勝つ」という姿勢のように思います。
ともに勝つこと
「ともに勝つ」という言葉は前述の米長邦雄さんが著書で書いているものです。ベストセラーになった「7つの習慣」では「win-win」と表現されています。
「他人に勝つ」ことや「己に勝つ」ことを目指す人は多いですが、「ともに勝つ」という視点で動いている人は少ないように思います。理屈では分かっていても、人はどうしても自分の利益で動きがちです。
前述の「対価を払うこと」で述べたような、買い物で極端な安値を求めるような行為は「他人に勝つ」であって「ともに勝つ」ではありません。イエローハットの創業者・鍵山秀三郎さんは、スーパーやコンビニの食品ではわざと賞味期限が近いものを買うそうです(そのエピソードは下の書籍から)。賞味期限が切れれば店は食品を廃棄せざるを得ず、廃棄物が増えれば店は商品の価格を上げざるを得ません。長い目でみれば消費者も損をすることになります。鍵山秀三郎さんは多くの著書を書いて、その生き方が多くの共感を呼んでいますが、これもそのエピソードの1つと言えるでしょう。冷蔵庫で腐らせてはいけませんが、その日に食べるものであれば、このような考え方も良いのではないでしょうか?
賞味期限のエピソードはこちらの本から↓↓
鍵山秀三郎さんの著書↓↓
社会は本来、多くの人間の「ともに勝つ」という相互利益の図式でそのバランスを保っています。そこに自分の利益だけを求める向きが多くなることで、全体のバランスが保てなくなります。社会が成立しなくなると自分も大きな損害を被ります。
利己主義が社会に増えると言うことは、すなわち「運が良い人」が世の中から減っていくことです。運が悪いことを人は幸せとは考えないでしょうから、世の中がどんどん暗くなる方向に進んでいるようにも感じます。
自立していること
運が良い人というのは、基本的に自立しているように思います。自分の人生を他人任せにしないですし、他人のせいにもしません。これは他人の話を聞かないと言うことではなく、自分の人生に責任を持つという姿勢です。現実に、自立している人は上手に協調して、他人の良いところは積極的に取り入れます。
他人への依存が強い人で運が良いという人を僕は見たことがありません。他人から助けてもらうことは必ずしも依存ではありません。自分と向き合い、努力した上で足りないところを素直に助けてもらうのは、むしろ自立した態度と言えます。
1858年に出版された『西国立志編』(原題『Self-Help, with Illustrations of Character and Conduct』)という書籍は「天は自ら助くる者を助く」というコンセプトのもと、日本でも福澤諭吉の『学問のすすめ』と並んで読まれて、明治のベストセラーとなりました。現代語訳版は『自助論』という名前で出版されています。明治時代から「自立」の大切さが伝わっていたということでしょう。
運が良くなる+α
これまで運が良くなる法則として10の習慣を書いていきました。しかし、これらを多く実践しているにも関わらず、不思議と運が良くない人がいます。その傾向は大きく2つあると思います。
ひとつは「天然」と呼ばれる人たちで、悪気はないのですが周囲を迷惑に巻き込んでいるパターンです(「天然」と呼ばれる全ての人たちが迷惑をかけたり、運が悪かったりするわけではありません)。そのような人たちというのは本人に意識はないのですが、その行動が結果的に自己中心的になります。意識していないので利己ではないのですが、結果的に同じような行動になっているのです。
もうひとつは「人を見る目がない」ということです。これは他の習慣がどんなに高いレベルで達成できていても、全てを壊すくらい破壊力を持っています。人付き合いによって運は大きく変わってきます。いつも一緒にいる友人たちによって行動の内容は変わってきますし、結婚などは生活を共同にしますから、相手によって人生が変わってくるのはお分かりいただけると思います。
「人を見る目」についてはまた別の記事で書きたいと思います。
まとめ
運が良い人というのはやはりある程度の共通点があると思います。「運が良い」と言う人にムスッとした仏頂面の人はいません。どこかその人の人格や生き方が運を引き寄せているのだと思います。
この記事は自分の経験や過去に読んだ本を参考に、運が高まる習慣や考え方をまとめました。中には納得できない項目もあるかもしれませんし、全てを実践するのはなかなか難しいと思います。書き漏らした他の要素もあると思います。
運が良い人が増えるということは幸せな人が増えるということです。幸せな人が増えれば社会は明るいものになります。運が悪いよりも良い方がいいに決まっています。
この記事が少しでも運が良くなる手助けになれば幸いです。
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