園井恵子さんの取材や資料収集をする中で、非常に心惹かれながらも、書籍からは割愛した内容がいくつかあります。伝記・評伝という類の中では生きなくても、園井さんに関心を持つ人なら興味深く読んでもらえるのではないか……今回の記事もそのような内容です。
目次
園井恵子の声を探して
園井さんの声はどのようなものだったのか? 彼女の声はいくつかの映像作品に残っています。代表的なものが映画『無法松の一生』です。戦前の宝塚映画も一部フィルムが残存していて、なかなか観ることが難しいですが、そこでも彼女の台詞を聞くことができます。役柄がいずれも婦人の役で、落ち着いた低い声色です。
映画の役柄からすると、いかにもピッタリな声なのですが、残っている宝塚時代やプライベートの写真を見ると、ちょっと違和感があります。
実は園井さん自身が自分の声について語った文章があります。
(「心境を言ふ」園井恵子『東宝』昭和9年11月号より)
そう、園井さんの地声は実は高いのですが、役柄に合わせて低くしていると、自分自身で書いているのです。
本当の声はどのような声だったのか? 興味はあったものの、彼女の声を聞ける機会があるはずもなく、その問い掛けはしばらくそのままになっていました。
宝塚少女歌劇のSP盤レコード
そのような中、ネットオークションを散策していたところ、あるレコードを見つけました。『草刈王子(上)』『草刈王子(下)』という名前のSP盤レコードです。
宝塚少女歌劇団は戦前にいくつもレコードを出しています。しかし、そのほとんどは歌を収録したもので、そのようなレコードの盤面には「主題歌」「流行歌」という明記がされています。ただ、この『草刈王子』には「歌劇」と書かれていて、しかも歌唱メインでなかった生徒たちの名前が並んでいます。
例えば、戦前宝塚の歌の名手と言えば、エッチンタッチンの愛称で知られた三浦時子と橘薫、園井の同期であれば大空ひろみ、藤花ひさみ、草路潤子、多くの主役を演じ男役の大スターであった葦原邦子、他にも二條宮子や糸井しだれなど、全てはとても書き切れませんが歌唱を任されていた生徒たちがいました。歌を収録したレコードにはたいていそのような歌唱の名手がクレジットされています。
しかし『草刈王子』の盤面に並んでいるのは、歌唱よりも演技メインの生徒たちの名前で、しかもその筆頭に「園井恵子」の名前が書かれています。
もしかしてオーディオドラマのような劇を収録しているのではないか? 園井さんの声が聞ける、それも婦人役でなく地声に近いものが聞けるかもしれない……いやが上にも期待に胸が高まりました。
さっそくオークションで落札し、レコードプレイヤーがなかったので、内容をデータ化してくれるサービスに依頼して、パソコンで聴けるようにしました。さらに阪急財団池田文庫で『草刈王子』の脚本をコピーして、役と声の確認ができるようにしました。
舞台『草刈王子』について
『草刈王子』の背景
『草刈王子』(公演当時の表記は『草刈り王子』)は雪組により、宝塚大劇場で昭和15年1月26日~2月24日、帝国劇場にて3月1日~27日、名宝にて3月30日~4月7日まで公演されました(『宝塚歌劇四十年史』より)。
帝国劇場で宝塚少女歌劇の公演が行われるのは珍しいことです。この昭和15年3月は帝国劇場の経営が松竹から東宝に移った時で、さっそく雪組を呼び寄せて「帝国劇場東宝直営開場記念」と銘打って公演が行われたのです。『草刈王子』もこの時の演目のひとつでした。
作・演出 堀正旗
振付 康本晋史
音楽 須藤五郎、岡政雄
ハンス王 千村克子
シュピールマン(※) 園井恵子
ローデリッヒ王子 朝綠澄子
エリカ王女 桜町公子
歌手 桃園ゆみか
占星者 大宮輝子
近衛兵士 牧藤尾
※ 『宝塚少女歌劇脚本集昭和15年2月』では「號角手」と記載されています。
『草刈王子』あらすじ
昔々、あるところに富裕なクラウス王と貧乏なハンス王という2人のカルタ好きな王様がいました。2人には子供がなかったのですが、ある日コウノトリがそれぞれに赤ん坊を連れてきます。しかし、ハンス王が男の子だったのに、クラウス王が女の子だったことで、跡継ぎが欲しかったクラウス王は怒り出します。仲違いの末に両国は戦争となり、クラウス王はハンス王の領土を占領します。
15年後、国を追い出されたハンス王と息子のローデリッヒは平民となり、箒作りで生計を立てています。ある日、ローデリッヒが草原で箒の材料である草を刈っていると、散策中に道に迷ったエリカ姫(クラウス王の娘)が現れます。2人は魅かれつつも別れます。
その頃、クラウス王は心を打ち明ける者がなく、いつも不機嫌だったので、家来たちも恐れて近寄らなくなっていました。クラウスとハンスの共通の知人であるシュピールマンは一計を案じます。エリカの婿選びの際にローデリッヒを招き入れると、エリカは婿にローデリッヒを選びます。怒ったクラウス王は2人を国から追い出そうとします。シュピールマンはクラウス王にたくさんの酒を飲ませて、酔い潰れたところをローデリッヒとエリカとともにハンス王のもとに連れて行きます。
目を覚ましたクラウス王はハンス王と和解して、国はローデリッヒに継がせることにします。そして昔のようにカルタをして楽しむのでした。1年後、ローデリッヒとエリカの間には子供が生まれて、クラウス王、ハンス王たちとともに仲良く暮らすのでした。
園井恵子の配役~シュピールマン
園井の配役は帝国劇場公演のパンフレットでは「シュピールマン」、当時の脚本集では「號角手」と表記されています。ちなみにレコード版では「シュピールマン」とされています(レコード版ではこの人物は登場しないのですがナレーションが「シュピールマン」と呼んでいる部分があります)。「シュピールマン」はドイツ語で吟遊詩人、號角は中国語で楽器のホルンをさします。ホルンを吹くシーンが劇中で見られるため、園井が演じたのはホルンを持った吟遊詩人のようなイメージで良いのではないかと思います。
シュピールマンはクラウス王とハンス王の共通の知人の設定です。カルタ遊びの相手をしたり、相談相手になったりしています。劇中ではクラウス王にハンス王のことを「私達のお友達」と話していることから親しい間柄であることがわかります。
寝ている2人の王様にホルンを鳴らして目を覚まさせるなどコミカルな三枚目の役柄の一方で、ハンス王が国を追われた際は励まして自分の財産を持たせるという二枚目的な要素も備えています。終盤では計略を巡らせて2人の王の和解だけでなくローデリッヒとエリカの縁も結ぶ見どころ十分な役です。また劇中では狂言回し的な役割もしています。
『草刈王子』の当時の評価
現在、『草刈王子』という演目を記憶している人は古い宝塚ファンでもほとんどいないのではないでしょうか。大スターの小夜福子や葦原邦子などが登場するわけでもなく、後に語られることもほとんどなかったと推測されます。どちらかと言えば芝居巧者たちによる玄人受けする舞台だったように感じます。当時の宝塚歌劇団の雑誌『歌劇』の読者投稿欄には次のような感想が寄せられています。
『歌劇』誌の当時の読者欄は、賛美だけでなく批判も多く掲載されていました。そこから当時どのように観客に受け入れられていたか、いくらか窺い知ることができます。『草刈王子』については、荒唐無稽な喜劇という作風が人によって賛否あるようですが、初音麗子、千村克子、園井恵子の3人の演技は概ね評価されていたようです。
レコード版『草刈王子(上)(下)』を聴いて
レコード版の概要と配役
このレコードは上下合わせても7分ほどの内容です。この短さでは全ての内容を収録するのは無理で、カットされた分はナレーションが使われていますがそれでも補いきれず、このレコードを聞いただけではほとんどの人は劇の概要が分からないと思います。
レコード版『草刈王子』の登場人物は以下の通りです。
ナレーションB(女性の声色)
クラウス王
ハンス王
ローデリッヒ王子
エリカ王女
歌手
占星者
近衛兵士
※ ナレーションA、Bという名称は便宜上こちらで設定しました。
そこにレコードの盤面に書かれている生徒名を加えます。
ナレーションB ??
クラウス王 初音麗子
ハンス王 千村克子
ローデリッヒ王子 朝綠澄子
エリカ王女 桜町公子
歌手 桃園ゆみか
占星者 ??
近衛兵士 ??
実はレコード版ではシュピールマンが登場しません。その代わり、舞台盤ではなかったナレーション役が2人登場します。1人は男性の声色、もう1人は女性の声色です。前者は草刈王子(上)(下)、後者は(下)にのみ登場します。
レコード版『草刈り王子(上)(下)』の再生はこちら
音や声に関してはいくら説明を受けてもイメージすることは難しいので、下に『草刈王子(上)(下)』を公開します(聴く際にはMP3ファイルを再生する環境が必要です)。発売からすでに70年以上経過しており、著作権上は問題ないと思いますが、ご指摘があればお願いいたします。何か問題が発生した場合は速やかに削除させていただきます。
草刈王子(上) 1940年コロンビアレコード
草刈王子(下) 1940年コロンビアレコード
どの声が園井恵子なのか?
レコード版『草刈王子』に登場する配役の中で、盤面にクレジットされている名前で埋まらない役は「ナレーション」の2人と「占星者」「近衛兵士」の4つです。うち、占星者と近衛兵士は表記する盤面の余白がなかっただけで、舞台同様にそれぞれ大宮輝子と牧藤尾が演じたと考えるのが自然に思います。少なくても園井恵子が演じた可能性は低いと私は考えています。
レコードの盤面のクレジットや当時の広告(下)を見るとわかるのですが、園井恵子の名前は当時雪組の組長であった初音麗子を差し置いて筆頭に位置されていて、これは主要な役で起用されていることを意味します。占星者や近衛兵士の役柄では、このクレジットの位置づけにはならないのです。
そうなるとレコード中で最も台詞の多いナレーションA(男性の声色)は園井さんの声である可能性が高いです。これは舞台で園井さんが演じていたのがシュピールマン(男役)だった点にも一致します。あるいは声色を変えてナレーションA、B両方を演じていたとも考えられます。盤面にクレジットされている生徒たちにはそれぞれ配役があり、園井さんの他にナレーションを担当するそれらしい名前がないからです。
まとめ~さらに園井恵子の声を求めて
園井恵子さんは戦後まもなく亡くなり、出演した映画も少ないことから、その声の記録もほとんど残されていません。特に園井さんの場合、映画での役柄が母親役、婦人役に偏っていて、演じる時はわざと声を低くしていたと考えられます。本人が「高い自声」と語っていた声を聞くことは困難になっています。
今回、宝塚少女歌劇『草刈王子』のSP盤レコードをもとに、園井さんの声を探すという試みをしました。完全な声の特定には至りませんでしたが、おそらく登場する2通りのナレーションのうちの片方か、あるいは両方が園井さんの声であると考えられます。
試みの成果としては、園井さんの男役であろう声を発見できたことがひとつ、ナレーションのもう一方(女性側)も園井さんだとすれば、それも大きな収穫と言えます。ただ、彼女の本当の声を聞いてみたいというファンの願望においては十分に叶えられない内容だったかもしれません。
正直なところ、私ははじめてナレーションの声を聞いた時は、とても園井さんの声には思えませんでした。推論を突き詰めていくと、その可能性が高いとわかるのですが、レコード版は配役が明記されているわけではなく、断定することはできません。『無法松の一生』や宝塚映画の園井さんの声と聞き比べながら、それぞれで思いを巡らし結論を出していただければ良いと思います。
今後、園井さんの「声」についてさらに研究が深まる可能性は高くないでしょう。前述のように宝塚少女歌劇団は戦前に多くのレコードを発売しています。『宝塚歌劇四十年史』(1954年発行)の年表にも生徒たちがレコードの吹き込みをしたという記録が多く書かれていますが、そのほとんどは歌を収録したものです。今回の『草刈王子』のように劇を録音したものはたいへん珍しいと言えます。上に挿入した『草刈王子』の広告には「祝 新装帝国劇場開場」と書かれていて、そのような節に特別に制作されたものかもしれません。
新たな資料の発見は可能性は低いですが、決してないわけではありません。失われたと思われていた戦前の宝塚映画のフィルムが倉庫から発見されたのは2000年を過ぎた後のことです。宝塚少女歌劇は戦前からすでに全国的なコンテンツで、膨大な量の商品が生み出されていました。今回のSP盤レコードのようにまだ知られざる存在があるかもしれません。「声」に関してはレコード、ラジオ、映画、舞台記録などの中からもしかしたら、新しい資料が見つかるかもしれません。園井さんについては演技がメインだったためか、ソロの歌も残っていません。そのあたりがもし見つかれば、それもまた大発見と言えるでしょう。
そのような未来への願望を最後に書き、この記事を締めくくりたいと思います。
参考文献
1)「東宝 昭和9年11月号」1934年
2)「宝塚少女歌劇脚本集 昭和15年2月」(『草刈り王子』収録)宝塚少女歌劇団.1940年
3)「昭和15年3月帝国劇場雪組公演パンフレット」宝塚少女歌劇団.1940年
4)「草刈王子(上)(下)」SP盤レコード.コロンビアレコード.1940年
5)「宝塚歌劇四十年史」宝塚歌劇団出版部.1954年
6)「宝塚歌劇100年史『虹の橋渡り続けて』舞台編」阪急コミュニケーションズ.2014年
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