「園井恵子を語り継ぐ会」のFacebookページから、『無法松の一生』のフィルム修復が進められているという情報がリリースされたのが一昨日(2020年7月13日)。
この「修復」の意味を解きあぐねていて、少し気になっていました。
日本映画史に詳しい人ならご存知でしょうが、『無法松の一生』という映画は1943年(昭和18年)、1958年(昭和33年)、1963年(昭和38年)と3作品が作られています。第1作は阪東妻三郎、園井恵子、第2作は三船敏郎、高峰秀子、第3作は三國連太郎、淡島千景と錚々たる役者が演じています。
阪東妻三郎、園井恵子出演の1943年版は戦争中に撮影されて、軍の検閲によりクライマックスを含む10分ほどがカットされました。検閲官は「もうすぐ戦争は終わるだろうから、それまで待って公開したらどうか」と勧めたらしいですが、経営的な事情でそれは許されず、稲垣監督自らフィルムにハサミを入れたと言います。
園井さんは試写で完全版を見ていたのでしょう。映画館で見た後に日記に「きられぎられになって松さんがすくわれない。可哀相な松さん」と書いています。カットされたフィルムでも大ヒットしたのですが、完全な作品とはやはり大きく違っていたのでしょう。受難はこれだけで終わらず、終戦後にGHQの検閲を受けてさらにフィルムがカットされます。
『無法松の一生』はヒロイン役の園井恵子が原爆で亡くなり、2度の検閲によりフィルムが失われ、心ならずも戦争の惨禍を背負う作品となってしまいました。
その後、GHQがカットした部分については、カメラマンの宮川一夫の遺品からフィルムが発見されて、現在はDVDにより観ることができます。しかし、軍部によりカットされた部分については今も失われたままです。
今回、Facebookで流れた「修復」という言葉に、もしかして、その失われたフィルムが見つかったのかもしれないと、心がざわめきました。
次の情報を待つことが出来ず、その真相を「園井恵子を語り継ぐ会」の事務局に問い合わせました。返信によると、フイルムが発見されたわけではなく、この「修復」というのは、デジタル化して保存する作業とのことでした。
映画監督の山崎エマさんが無法松の一生に関するドキュメンタリーを撮影し、ヴェネチア国際映画祭に出品されるそうで、その時にオリジナルの『無法松の一生』も一緒に上映するらしいのです。そのための保存作業とのことでした。
山崎エマさんという名前を恥ずかしながら初めて知ったのですが、ネットで色々調べてみると、世界に渡って活躍している方のようです。
色々とネット上のインタビュー記事など読んでみましたが、彼女が手がけた長編ドキュメンタリー第1作『モンキービジネス おさるのジョージ著者の大冒険』の制作エピソードが特に心を引かれました。この作品は『おさるのジョージ』の原作者夫妻の波乱に満ちた生涯にスポットを当てたドキュメンタリーです。山崎さんはインタビューで次のように語っています。
私の前にも映画化したいという話があったらしいのですが、実現までこぎ着けた人がいなかった。でも、こんな話が世の中に知られないのはおかしいと思って、とりあえず、仕事が休みの時にゆかりの人を探してインタビューを撮り始めました。
出典:OTEKOMACHI: 「おさるのジョージ」秘話を映画化28歳の映画監督山崎エマさん
(2020年7月15日閲覧)
私も園井さんの評伝が存在しないことを知って、自分が書くべきだと思うようになりました。山崎さんは他のインタビューで「これは自分が作る使命なんだと覚悟した」とも語っています。その点がとても似ているように感じました。
長くクリエイターをやっていれば、どこかでこのようなチャンスがやってくると私は考えています。人によって形や大きさは違うかもしれませんが、何らかのきっかけがやってきます。でも、それをチャンスと認識できるか? チャンスと思っても実現まで頑張れるか? そこが分岐点のように思います。
その山崎エマさんが無法松の一生のドキュメンタリーを撮影したそうです。
私はこのドキュメンタリーはなかなか難しい題材だと思っています。映画(あるいはフィルム)の一部が戦争により失われたのは事実で悲しいことなんですが、映画(あるいはフィルム)は「もの」でしかありません。そこに人間の思いや人生が絡むことで、はじめて私たちの心に訴える何かが生まれると思うのです。しかし、その時にいた人たちの多くはすでに亡くなっています。そのような状況で、今まで伝えられたこと以外で新たに何かを生み出せるのか、非常に難しい課題だと思います。それだけにクリエイターの手腕が発揮される題材とも思います。
表現というのは組み合わせとも言えます。そして作品は創作者の感性とも言えます。今までそこに存在していたものでも、違う人間が見ることで全く違う存在に変わります。
園井さんについての取材中、私は「思ったよりずいぶん若いですね」と何度も言われました。戦前に亡くなった女優さんを調べるにしては若く感じたのでしょう(すでに立派なおじさんですが……)。それと同じくらい、山崎エマさんと「無法松の一生」というのは一見ちょっと結びつきません。今まで1943年版の『無法松の一生』が論じられた時、その表現は「戦争の惨禍を受けた作品」「戦争の中で人々に感動を与えた作品」という視点が中心でした。それはごく自然なことですが、長い期間、そこから抜け出すことができず、現在となっては一種のステレオタイプで偏っているようにも感じています。新たな感性が、私や従来の表現者、研究者が出せなかった新しい一面を出してくれるのではないかとちょっと楽しみにしています。
書いているうちに『無法松の一生』がまた見たくなりました。
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