僕がオセロを始めたのが20年以上前で、その間にオセロゲームの環境もだいぶ変わりました。特にインターネットなど、情報通信技術の進歩は目覚ましく、それはオセロというゲームやそれを楽しむ人に大きな影響を与えたと思います。
現在の環境を考えると僕の勉強法は、時代遅れの感は否めないですが、能力を上達させる上で本質的な要素も含んでいるかもしれません。自分のプロセスの紹介も兼ねて書いてみたいと思います。
最初にオセロで強く記憶が残っているのは小学生低学年の頃でしょうか。地域の児童館のオセロ大会で3位になったことでした。ド素人の自分が3位になれたのですから、子供が遊んで楽しめば良いという場だったのだと思います。
現在、例えば名古屋市の児童館ではオセロ連盟の指導員が定期的に教室を開いていて、普及活動もしています。そのようなしっかりした場ではなく、成績もそれこそ運に過ぎなかったのですが、これが僕の人生を少し変えます。
高校2年生の時、友人(仮にT君とします)がオセロをしようと急に言い出して、オセロが強いと思っていた自分は受けて立ちました。ノートを1枚破り、ボールペンで8×8の枠を書き、盤を用意しました。
鉛筆で石を書いて、ひっくり返す時には消しゴムで消して、また書き込むという少し面倒な方法です。何回かゲームを繰り返すと、紙が傷んでしまうのですが、そうしたら新しい紙にまたボールペンで枠を書きました。
休み時間だけでなく、授業中に手紙を渡すように、一手を書き込んで相手に渡し、相手も書き込んで渡し、と夢中に何局も繰り返しました。2人とも不思議と飽きずに続けました。
さて、2人の対局はT君の方が成績が良く、悔しかった僕は本屋でオセロの本を見つけて勉強することにしました。それが谷田邦彦さんの「図解 早わかりオセロ」です。
谷田さんは2018年に福地啓介君が11歳で更新するまで、世界選手権優勝の最年少記録(15歳)を持っていたプレイヤーで、福地君が優勝した帰りの飛行機の機長で、祝福のアナウンスをしたことはワイドショーなどでも取り上げられました。
この「図解 早わかりオセロ」は図面入りで表現もとても分かりやすく、当時多くの初心者が参考にしていました。今でも入門の書籍として十分お勧めできます。
他に当時、スーパーファミコンで「オセロワールド」(ツクダオリジナル)というソフトが販売されていて、家ではそれもプレイしていました。童話や小説の世界のキャラクターとオセロを打つという、今考えても、なかなか質の良いソフトだったと思います。ラスボスの「タメノリ」は2級くらいの棋力と思います。
さて、本を読んで勉強し始めると徐々に結果が出始め、T君もその本を読みたいと言い出しました。T君に本を貸して、2人は腕を磨いていったのでした。
T君とのオセロは100局を超えて、2人は自分たちが相当に強いのではないかと考え始めるようになりました。
「図解 早わかりオセロ」の巻末には、日本オセロ連盟の連絡先が書いてあり、そこに相手をしてくれる有段者を紹介してほしいと手紙を出しました。ホームページもメールもない時代の話です。
ありがたいことに連盟から封筒が届き、そこには連盟の広報誌であるオセロニュースが一部入っていました。そこに各地域の大会案内や活動が書かれていて、僕とT君は近くで行われていた練習会に参加することにしました。
会場は地域の生涯学習センターの一室で、高齢の方と小・中学生らしき子供たちがにぎやかにオセロを打っていました。勧められて小学生と対局したのですが惨敗しました。他の人とも何回か打った後、1人の有段者に「だいたい2級くらいの実力だね」と言われました。
「図解 早わかりオセロ」の第3章「級位者になるには」では「この章を終える時、あなたの実力は少なく見ても級位者並みになっていることでしょう。人によっては、有段者レベルになっているかもしれません」と書かれていました。それだけに「そうなのか、まだ2級くらいか」とちょっと残念だったのを覚えています。
連盟から届けられたオセロニュースには、滝沢雅樹八段(現九段)の世界選手権優勝が特集されていて、滝沢八段の世界選手権での全棋譜が収録されていました。考えながら何度も並べて、その意味を考え続けました。最初の時期に徹底的に並べたのがそうだったので、僕の棋風の原型は滝沢八段にあると考えています。
滝沢八段の棋風は、強引なところがなく、自然に流れるように勝つという印象でした。後日、ご本人にお会いした時も飄々とした知的ですが穏やかな感じで、棋風通りのイメージだったことを覚えています。
この時期、滝沢八段の棋譜を並べたのは幸運だったと思います。おかげでバランスの良い自然な打ち方が身に付きました。変な癖がつかず、この後の成長段階を考えても良かったと思います。
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