僕は周りから、ものを始めると長続きする人間と思われているようです。オセロは20年以上続いてますし、文章もジャンルを色々変えているとはいえ、20年以上ほぼ毎日何かしら書いています。
友人の中には「今日から毎日日記を書く」と宣言して、その日の日記も書かないような人もいるので、そのような人に比べると、確かに長続きできる人間だとは思います。
しかし、長く続けることができる人間と、すぐにやめてしまう人の間には、少なくても先天的な差はないと僕は考えています。
実際のところ、僕は途中でやめた事柄も多々あります。健康のために朝起きてジョギングするという試みは何回もチャレンジしましたが、その度に挫折しました。絵を習ったこともありましたが、これも1年続きませんでした。思い付きで始めてやめることはよくあります。
後にも出てきますが、将棋の羽生善治さんも著書の中で「実は、私は目標設定も実行も得意ではありません。目標を作っても負担になることが多く、たとえば、毎日日記をつけようと思っても、続いたことは一度もありませんし、すぐに挫折します。飽きっぽいので、将棋以外で長く続いているものはありません。英語の勉強を始めてはやめて、また始めてはやめる、といったことを繰り返したりもしています」(羽生善治「結果を出し続けるために」P158)と書いています。
なので、長く続けることに特別な才能はなく、ちょっとした習慣やコツのようなものではないかと考えています。今回は自分の経験や羽生さんの著書に書かれていることをもとに、始めたことを長く続ける方法論について考えていきたいと思います。
ポイント① こだわり過ぎない
僕の場合は、小説を習っていた時に先生から「どんなに駄作と思っても最後まで必ず書くように。そうしないと途中でやめるのが癖になる」と指導されて、その影響も大きいように思います。以来、どんなに時間がかかっても作品は最後まで書くようにしています。
長く続けるためのコツというのはいくつかあると思います。まず僕が気を付けているのは、あまり細かいことにこだわらないということです。
僕の場合、文章については、子供の頃に漫画を描いていたことから始まり、シナリオ、小説、ノンフィクション、ブログなど目まぐるしくジャンルを変えてますが、それは全て繋がっていることにしています。オセロゲームについても、ほとんど大会に出ない時もありましたが、それも続いていると見なしています。
小説については内容に不満があるまま終わらせたこともありますし、満足いくまで何年もかかって書き切ったこともあります。ある作品は途中で何年か放置していて、思い出したように再開して書き終えました。
もし、そのまま放っておいても、それはあくまで書きかけであって、死ぬまで「途中」であっても良いわけです。自分が「やめた」と決めない限りはやめたことになりません。
始めたことをすぐにやめてしまう人の2つの特徴として、ひとつ目は「あまり考えないで始めてしまう人」、ふたつ目は「質を求めすぎる人」というのが挙げられます。後者のパターンも意外に多いのです。
続けることに慣れている人であれば、質を追求しても問題ないと思いますが、そうでないなら少しそのこだわりを緩めてみると良いと思います。
ポイント② 時には柔軟にやめる
逆説的ではあるのですが、やめることに罪悪感を持つこともないと思うのです。羽生さんも将棋以外で続いたものはないと言うくらいです。僕もジョギングをやめても何とも思いません。「ああ、またか」という感じで、もしかしたらまたどこかで始めるかもしれません。
始めてみて上手くいかないことは、無理して続けなくても良いと思います。向いていないことがひとつ分かったと思えば、気持ちも楽になるかもしれません。
何か始める時というのは目的があったはずです。例えば、異性にモテたいと思ってジムに通ったとします。ここで大切なことはジムではなく、異性にモテたいという部分のはずです。だとしたら、ジムをやめたとしても、他の手段で異性にモテる方法を考えれば良いのです。
習い事などは自分の心持ちだけでなく、定期的に動かなくてはならず費用も発生します。もし何か目標があったにしても、その習い事に通うのが最も良い方法なのか、柔軟に考えても良いと思います。
大事なのは自分にとってどうしても譲れないもの、大切なものをあきらめないことです。それが羽生さんにとっては将棋だったのでしょうし、僕の場合は「表現すること」でした。なので、漫画、シナリオ、小説、ノンフィクション、ブログと形を変えても続けているのです。
ポイント③ 「努力-結果」の経験則を皮膚感覚として得る
多くの人が物事を長く続けられない理由に「結果が出ない」というものがあります。努力をしているのに結果が出ない、いつになったら成果が出るのかわからない、このような心理の中でモチベーションを保つのは大変だと思います。その問題について羽生善治さんは次のように述べています。
言葉が話せるようになった。自転車に乗れるようになった。料理が作れるようになった。資格を取った。何でもいいのですが、こうしたことを積み重ねていくと、「これくらいの努力と時間を費やせば、これくらいの成果が得られる」という経験則を、皮膚感覚として得られるようになってきます。いわば、自分なりの手応えです。
そうすれば、まだ結果の出ない期間や、「この努力が報われないのではないか?」という不安に耐えられるようになります。「今大変だけれども、もう少し努力すれば、なんとかものになりそうだ」という希望を持つことができるのです。
また、そうした経験則を持つことで、逆に「これを習得するには、10年はかかりそうだからやめておこう」という判断もできるようになります。
(引用:羽生善治「結果を出し続けるために」P37-38)
僕の場合はこの「小さな哲学の部屋」の他にもいくつかブログを運営していて、訪問者数が伸びない時もあります。このような場合でも、すぐにやめるのではなく、書籍やネットで経験者が書いている「100記事」まではなんとか頑張ってみようと考えます。
自分が「質が高い」と思える記事を100個並べて、それでも何の手応えもなければ納得できると思います。しかし、結果を出した人の方法を実践してみると、全て思い通りにいかなくても何らかの反応があります。
この「何らかの反応がある」という確信もいわば経験則なのです。ものを続けるには結局のところ、訓練と慣れによる影響が大きいと思います。始めたことを終わりまで続けることを繰り返すと、最後まで続けるコツというのがなんとなく分かってきます。
この経験則を身に付けるには、小さくても何かを達成することが必要だと思います。また、ブログの100記事のように途中でやめるにしても自分で区切りをつけることが大切です。区切りをつけることで、自分が費やした労力に対しての結果を受け取ることができます。
まとめ
「始めたことを長く続けるコツ」について、自身の経験や羽生善治さんの書籍からまとめました。繰り返しになりますが、飽きずに長く続けることに才能は重要ではなく、大切なのは慣れや訓練です。
僕は結果を出す自信はありませんが、続けることについては自信があります。苦手な人は、最初は簡単に達成できるものから始めて、徐々に大きな目標に挑戦していくと良いのではないでしょうか。次第に長く続けることが苦にならなくなると思います。