オセロから見る子供の能力の伸ばし方

僕が競技としてのオセロに携わってから、すでに20年以上過ぎています。オセロゲームは子供の普及も広いので、多くの子供たちやその親たちを見てきました。

最近は2018年に小学校5年の福地啓介君が世界選手権で並みいる大人たち強豪を押しのけて優勝しました。その前年の世界選手権では当時、小学6年生の高橋晃大君が決勝に進出して、敗れたものの準優勝という偉業を成し遂げています。

この事実だけ見ると、オセロゲームが子供でも世界一になれる底の浅いゲームのように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。この2人が規格外に強いのです。もちろん、大人に対等に勝負できる子供は過去にも多くいたのですが、世界のトップレベルと争って堂々と負かしてしまうような存在は、これまでいませんでしたし、出てくると思っていませんでした。

「この2人が」と書きましたが、福地君、高橋君ほどではないにせよ、この2人に刺激されたのか子供たちの棋力が全体的にどんどん上がっているように感じます。それは情報通信などのテクノロジーの進化の問題ではなくて、何か意識が変革されて、大きな波のようなものがオセロ界に押し寄せているように感じます。

子供の成長は速いので、僕もそれに負けたくないと、40歳過ぎても毎日オセロを並べています。

さて、多くの子供と親に会ってきて、オセロが強くなる子供の親はどんな人なんだろうといつも興味を持っています。本人が興味を強く持つかどうかが一番大切と思うのですが、それをサポートする親も影響は大きいように思います。

福地君の親とは会ったことがないのですが、高橋君の親とは何回か大会の会場で会ったことがあります。日本各地のオセロ大会に連れて行っていますが、高橋君の両親がオセロの内容について口を出しているのを見たことがありません。もちろんアドバイスできないくらい強いという事実もあるのですが、それほど強くなかった時代でも接するスタンスは同じだったように思います。本人が大会に出たければ支援はするけど、結果については勝っても負けても、あまり変わらない様子です。

あくまで僕が受け取った印象ですが、オセロが強くなる子供の親は、あまり勝ち負けにこだわっていないように思います。もちろん勝って本人が喜んでいれば親も一緒に喜んでいますが、負けたからといって接し方が大きく変わることはありません。悔しそうにしていればそのまま受け入れてアドバイスもしません。内容についても、今はスマホでも正解を教えてくれるので、親がその結果を教えることもできるのですが、そこまで積極的ではないように思います。本人が知りたければ教えるというスタンスのように思います。むしろ、なかなか強くならない子供の方が親は熱心に干渉するように思います。

どのようなゲームも競技もそうですが、フィールドに出れば自分の力で選択をしなくてはいけません。子供であってもそれは一緒です。そのゲームや競技の軌跡にはその子供の意思決定があったはずで、それを他人が干渉してはいつまでも自分が決断することができません。親が内容について強く干渉すれば、おそらく子供は自分の考えではなくて、親が認めてくれる答えを探すようになるでしょう。親の場合は特に影響力が強いのでそのようなことが起こり得ます。

もちろん、子供のころからスパルタで、結果的に世界的な芸術家やスポーツ選手になる人もいるので、一概に教育について正解を出すことはできません。しかし、表に出ないだけで、このような教育で成功できなかった子供たちはたくさんいるはずです。そのような子供たちがその後、人生に対してどのような考えを持つかという部分に、僕は少し危惧を抱いています。

ゲームは必需ではないので、僕個人としてはオセロが強くならなくても、興味がなかったとしても、それはそれで良いと思っています。他に夢中になれるものを見つければ、それで良いように思うのです。親は子供の興味に合わせて支援して、子供が夢中にならなければ他のものを探せば良いと考えています。それはゲームだけでなくて、人生全般に通じることのように思います。

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兼業作家。2023年4月『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』(国書刊行会)上梓。歴史全般が興味の対象ですが、最近は大正~昭和の文化、芸術、演劇、映画、生活史を多く取材しています。プロフィール写真は愛貓です(♂ 2009年生まれ)。よろしければTwitterのフォローもお願いします。(下のボタンを押すとTwitterのページに移動します)。