先週の日曜日(8月4日)、東京のバンダイ本社でオセロ小学生グランプリ2019が開催されました。優勝は大阪代表の薬師寺健太さんでした。
事前の評価でも、この薬師寺君を優勝候補の筆頭に上げるお父さん方が多くて、噂に違わぬ強さであることを証明した形です。
僕の地区でも大会の前週に練習会が開かれて、微力ながら自分も手伝ってきました。その中から2名入賞して、他の選手も上位争いに絡むなど、嬉しい結果が出ました。
今回はその入賞した選手2人の話なのですが、片方の選手(仮にA君とします)は小学4年生で、すでに全国大会での上位入賞の実績もありました。もう1人の選手(仮にB君とします)は小学6年生で小学生グランプリ本戦初出場、最初で最後の舞台となりました。
A君は6月の地区児童館対抗の大会でも個人で優勝の成績を収めています。低学年の時から大人とも対等に戦える力を持っていて、無差別のタイトル経験者に勝ったこともあります。
B君はオセロ歴こそ長いものの伸び悩んだ期間が長く、他の子供が昇段する中、有段者になることがなかなかできませんでした。大人の大会に比べればレベルの高くない小学生グランプリの地方予選を、これまで勝ち抜けなかったのも伸び悩みを表しています。
A君はすでに実績があり、上位争いをするだろうと誰もが考えていました。B君も最近は全国各地に遠征していて、その力は評価され始めていました。
最近B君は僕相手に2連勝しています。直前練習会でも勝っています。無差別の五段相手にこれだけ通用するのですから、本当は子供相手の大会では上位争いするのが当然の棋力です。
しかし、B君は大会になると実力よりも結果が出ない印象でした。自分より棋力的には格下の相手でも、もったいないミスで負けてしまうことが度々見られました。本番での弱さだけが不安材料でした。
僕はA君、B君とも本戦で良い戦いができるだろうと考えていましたが、結果についてはやってみないと分からない部分があります。
オンラインオセロ教室を運営されている中島哲也八段も「練習をいくらしても、必ず勝てるということにはならない。けれど、勝てる可能性を少しでも高めるように練習をする」と話していました。
これはオセロに限らず勝負ごとの本質で、高いレベルで競う中で、一方が勝ち続けることはほとんどありません。
将棋の羽生善治さんが七冠を独占した全盛期でも勝率は.836で、それは驚異的な数値ですが、およそ5回に1回は負ける計算になります。
努力や練習の本質というのは、成功する確率を高くする作業ということに他なりません。
A君もB君とも確固とした実力があり、それは横から見ていれば分かります。だから、今回勝てなくても、どこかで良い成績を収めると考えていました。
結果にこだわり過ぎるのは、僕はあまり良くないと考えています。前述の通り、それなりに実力があっても負ける時はあって、運悪くそれが続くこともあるからです。
1番良くないのは、結果が出ないことで努力をやめてしまうことです。結果が出るか分からない努力を続けるのはたいへんに辛いことです。横から見ていると実力が付いているのは分かるのですが、本人はなかなか分かりません。
そこで努力をやめてしまうと、今度は本当に成長が止まってしまいます。そうやって多くの才能が途中で歩みを止めてしまうのだと思います。
前述のように、今回の小学生グランプリで勝てなくても、2人はいずれどこかの大会で良い成績を収めると思っていました。しかし、唯一懸念していたのが、B君が結果が出ないことで、意欲が大きく下がらないかということでした。
実力以上の結果が出ることは、時に慢心を生んで努力を途絶えさせますが、実力通りの結果が出ないことも意欲を維持できずに、努力を止めさせてしまう恐れがあります。
結果的にそのような心配は杞憂に終わりました。
さて、オセロやスポーツなど勝負事に限らず、努力と結果には正比例のようなきれいな関係があるわけではありません。ある人が早々に結果が出るのに、ある人は同じような力量を持っていながら、なかなか結果が出ないということもよくあります。
しかし、運が悪くてたまたま結果が出なかったとしても、その人にしっかりした実力が備わっていれば、いつかは相応の結果が出ます。社会からなかなか見い出されない時、誰も認めてくれない、世間は何も見ていないと不満が募ることがあるかもしれません。
スマイルズの「自助論」には次のような言葉が書かれています。
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