成長に関する経験則

今回は少しエッセイ調になります。以前と重なることも多いと思いますが書いてみます。

どのような技能にせよ、向上心がある人なら上達したいというのが自然の思いです。そのために努力をして、最初のうちは未熟な点が多いので直す点も多く、成長が実感できると思います。楽しく練習や学習ができるはずです。

そのうち、技能が高くなるにつれて、向上が実感できなくなります。成長の曲線が自分で実感できないほどなだらかになるか、横ばいになってしまいます。このような現象というのは多くの人に起こります。成長する上での壁といって良いでしょう。

成熟した知性を持った人ほど、このような壁を強く感じるように思います。成長できなくなることに理由を求めるようになります。すると、理由探しに心が奪われて、続けていた練習や学習が手につかなくなります。

これを簡単に克服するのが子供や天才です。子供が公園で遊ぶのを見ていると、例えば滑り台を何回も行います。大人から見ると「何であんなことが楽しいのだろう?」「何回もやって飽きないのかな?」と思うのですが、キャッキャッ言いながら繰り返しています。子供の場合は理屈よりも行動が先に出ます。行動を重ね、飽きない限りはやり続けます。大人に比べると行動に移す量が多いのです。

子供は理屈が先行しないので、ものにならないチャレンジも多いのですが、何かに夢中になると圧倒的な成長を見せます。

天才と呼ばれる人に子供っぽい人が多いのもこの理屈なのだと思います。技能そのものに関しては老獪なのですが、それに取り組む姿勢は子供に近いのだと思います。

壁にぶつかる(ことを感じる)というのはひとつの才能の限界なのかもしれません。しかし、全く壁にぶつからない人間というのは、天才という部類においてもそれほどいないのではないかと、僕は考えています。

成長が止まったように見えても、練習や学習を懸命に続けている限りは、実際のところは成長が止まっていません。何かを実現した人の中には「夢が実現した直前は上手くいかないことばかりだった」と語るケースが少なくありません。

「ティッピングポイント」という言葉がありますが、小さな変化にとどまっていたものが、ある時、急激な変化を起こす点という意味です。転じて、成長において停滞していたものが急に向上する場合にも使われます。

初期の段階の成長においてはきれいな右上がりの線を示しますが、次第に線の角度は水平になっていきます。そこからの成長は長い水平期間の後に、急激に上がるということを繰り返します。右肩上がりから階段状になるということで、これは多くの経験者が語っています。

結果がいつ出るかわからない努力が一番辛いです。それも結果が出る保証もありません。そして、多くの人がそこで練習や学習を止めるか緩めてしまいます。

外から見ていると「今、苦しい時期だろうな」というのがわかります。とにかく量をこなしているのに結果が出ないですから… 同時に「今が踏ん張る時期だ、あきらめるな」と心の中で祈っています。

精神を病んでしまいそうに感じることもあるでしょう。そのような人たちのために、僕なりの考え方を話したいと思います。

壁に当たって悩んでいる時はたいてい視野が狭くなっています。人は視野が狭くなると物ごとを因果で捉えがちです。あるひとつの原因と結果を結びつけようとします。恋人ができれば幸せとか、大学に受かれば幸せとか、それらは幸せかもしれませんがひとつの道にしか過ぎません。恋人がいても不幸な人もいますし、志望校に受かっても中退する人もいます。この場合は「成長しないといけない」という考え方です。

そもそも成長ってなんでしょうか?

人間、どのように生きていても変化します。努力しなくても生きていれば、何らかの経験をして変わっていきます。望ましい話ではないですが、老化してあらゆる機能が落ちてきます。

生きていれば成長、あるいは変化は勝手に起こります。何かを練習や学習し続けていれば必ず何らかの変化が起こります。それがどのくらい、どの方向に成長するか、人に認められるか、いつ起こるかは、それは分からないですが、必ず何かが変わります。

壁に当たって悩んでいる人というのは、不安であるがゆえに何かの結果にこだわっているように感じます。その結果というのは他人に認められたり、何かを保証されたり、自分とは関係なく外部に依存するものです。外部に認められるものでなくては、価値を感じられなくなっているのです。

本当にやりたいと自分が思ったことなら、それで良いんじゃないかと思うのです。一生の最後に結論が出ます。そこで大事なのは「自分がやりたいことをやった」「自分の人生を生きた」という思いなのではないでしょうか。

「ホリエモン」こと堀江貴文さんは東京大学文学部を中退です。最近は宇宙開発事業に乗り出すなど、一貫して好きなことをやっているように見えます。岡本太郎さんは東京美術学校(現在の東京芸大)を中退です。何か「結果」にこだわるのであれば、卒業して肩書きを求めると思います。そのようなところにこだわっていないのです。

僕みたいな凡人にしてみると、大学は卒業しておいた方が良いと思うのですが(笑)、堀江さんにしても岡本さんにしても、他人の評価などは関係なくて、好きなことに邁進しているように感じます。

何かの技能を究めたいと思って努力するならそれで良いと思います。本当にやりたいなら、あがいても、しがみついてでも、続ければ良いでしょう。途中で他のものに変えてもそれはそれで良いと思います。

きれいごと言うみたいですが、大切なのは達成したかできなかったかではなくて、自分がどれだけ命を燃焼したかということです。

森信三という戦前の教育者が人生をローソクに例えて、次のように話しています。

すなわち人生の意義とは、たとえて申せば、ここに一本のローソクがあるとして、そのローソクを燃やし尽くすことだとも言えましょう。つまり半分燃やしただけで、残りの燃せさしをそのままにしておいたんでは、ローソクを作った意味に叶わないわけです。つまりローソクは、すべてを燃やし尽くすことによって、初めてその作られた意味も果たせるというものです。

引用:森信三「修身教授録 ~現代に甦る人間学の要諦」致知出版社

だから、壁に当たったくらいで不安に思っていないで「人生を思いっきり生きろ」と言いたいわけです。屈辱的な思いをすることも恥をかくことも失敗することも人生には多々あります。でも、苦しんでもあがいても、自分の人生として、やりたいことを思いっきりやるべきだと思うのです。

2 件のコメント

  • 「結果の出ない努力が一番つらい」。はたして私は今までの人生で、結果の出ない努力をしてきたでしょうか? 結果が出ないとすぐ投げ出したりしてきたのではないしょうか? もっと言うなら、頑張っても結果が出てない人を自他を問わず笑い者にさえしてきたのではないでしょうか? 
    この金言と出会い、これからの人生が明るく輝き始めました。生きていくスタンスが見付かったような気がします。本当にありがとうございました!

    • コメントありがとうございます。
      この記事が誰かのお役に立てたことを非常に嬉しく思っております。
      真面目な方ほど努力に対して悩みを抱えるように思います。
      石原様の今後の発展をお祈りしております。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    兼業作家。2023年4月『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』(国書刊行会)上梓。歴史全般が興味の対象ですが、最近は大正~昭和の文化、芸術、演劇、映画、生活史を多く取材しています。プロフィール写真は愛貓です(♂ 2009年生まれ)。よろしければTwitterのフォローもお願いします。(下のボタンを押すとTwitterのページに移動します)。