前回、前々回と文章を書く上での、書式的なルールを説明しました。今回は読みやすくするためのいくつかのポイントをお伝えしたいと思います。
簡単ないくつかのポイントを守ってもらうだけで、読みやすさは飛躍的に向上します。文章を普段書かない人を対象としていますので、書き慣れた人には当たり前のことですが、初心者の中では、意外とできていないことも多いです。
次のような初歩的なポイントが守られていないと、読む方は内容以前に書き方で不快に感じます。そのようなことがないように、文章の基礎を身に付けましょう。
一人称と「ですます」「である」調を統一する
一人称とは「私」「僕」「わたくし」といった自分を指す言葉です。英語では「I」しかありませんので、このようなことに気を使うのは、日本語独特の問題と言えるでしょう。
この「私」とか「僕」を同じ作品中で変えてはいけません。最初に「私」だったのに、途中から「僕」に変えては、読み手に統一感のなさを感じさせます。
統一感のなさとは、樹木で言えば幹のようなもので、1本筋道が通っていれば、読みやすく内容を整理しやすいですが、それが上手くいっていないと、違和感を感じさせて理解を妨げます。
「私」と「わたし」のような漢字と平仮名であっても、作品中の変更はやめた方が良いでしょう。このブログでは、誤字でない限り、どの記事も「僕」で統一しています。
次に「ですます」「である」という文体の問題ですが、これも最初にどちらかに決めたら、全体で統一します。ちなみに、このブログでは「ですます」調で統一されています。
これには、一部で応用的な例外があって、例えば文章内に、箇条書きを入れる場合などは意識的に文体を変えることもあります。
上の例は当ブログの「我が家に猫がやってきた③」からの抜粋です。文章の中にボックスを作り、箇条書きにしているので、そこだけ「である」調に変えていますが、違和感はないと思います。
他にも文章内で写真や他のデータを挿入した時、その解説文で文体を変えることが効果的なことがあります。
上の例は当ブログの「芸大通信教育部青春記①」からの抜粋です。写真の解説文だけ「である」調になっていますが、ここも違和感がないと思います。
このように一部で文体を変えることは有効で、慣れてくると変えて良いのか悪いのか判断できるのですが、もし自信がないのであれば、全て統一しておけば良いでしょう。
なお、他の書籍や人の言葉などから引用する場合は、当然そのまま載せるようにします。その際は「」“”などの括弧やボックスで、他の部分と区別がつくようにしておきましょう。
全体を通してみれば、理由がない限りは、一人称と文体は統一するようにします。
また、その他の要素においても表記の仕方は統一しておく方が良いです。例えば、年号においても、ある部分で和暦で記載したなら以降の部分も和暦で書くことが望ましいです。西暦になったり和暦になったりすると読んでる方は違和感を感じます。
僕の場合は西暦か、「2018年(平成30年)」というように併記して統一して表記することが多いです。ブログなどで記事ごとに表記が変わるのはそれほど目立ちませんが、同じ記事で変わるのは避けましょう。
また、特に縦書きの場合で多いと思いますが、千九百九十八年と書くか、一九九八年と書くかなどでも統一しておいた方が良いでしょう。
「5w1h」を意識する
「5w1h」という言葉があります。「when(いつ)」「who(誰が)」「where(どこで)」「what(何を)」「why(なぜ)」「how(どのように)」という5つの疑問詞をまとめた用語ですが、他人に何かを伝える時というのは、多くはこの中の何か、あるいはいくつかを伝えています。自分が伝えたいことが相手に過不足なく伝わっているかが大切です。
この「過不足なく」ということが重要で、それを十分に表現するには、文章の技術だけではなく、相手の立場になる視点も大切です。
いくつかの要素を伝えようとすると、この「5w1h」が混乱することがあります。例えばマンションの草刈りを案内するとします。
夏が過ぎてマンション周りの雑草が増えてきたため、午前7時からマンションの草刈りと懇親会をする予定で、会費は500円で、集合場所はマンションの玄関前で、道具はこちらで用意しておきます。草刈り、懇親会どちらか参加でも構いません。参加・欠席をお知らせください。期日は9月1日です。
管理会社
少し極端に悪く書いていますが、ここまでではないにせよ、世の中には「伝わらない」文章が溢れています。
例文では「when(いつ)」→「午前7時、9月1日」、「who(誰が)」→マンション関係者、「where(どこで)」→マンション玄関前から開始、「what(何を)」→草刈りと懇親会、「why(なぜ)」→マンション周りに雑草が増えてきたため、「how(どのように)」→会費500円、道具は管理会社が用意と、一応「5w1h」は書かれていますが、これを読んで分かりやすいという人が何人いるでしょうか?
単純な文章の読みにくさもありますが、内容が伝わりにくい部分もあります。草刈りと懇親会どちらかの参加でも構わないと書いてありますが、会費は草刈りだけでも払うのか? 期日が書かれていますが、これは草刈り当日の日なのか、出欠の返事の期日なのか、これでは分かりません。
伝わらない文章では、5w1hが書かれていないこともありますが、書かれていても相互の関連性が不明なことも、多々見られます。そのような傾向は長文になるほど多く見られます。「こんな文章書く人いないよ」と笑う人がいるかもしれませんが、例文のように「これはどのことを指しているのか?」という文章は意外によく見られます。例文を少し書き直してみます。
夏が過ぎてマンション周りの雑草が増えてきました。9月1日午前7時からマンションの草刈りをします。集合場所はマンションの玄関前で、道具はこちらで用意しておきます。終了後に懇親会を企画しています。草刈り、懇親会どちらか参加でも構いません。懇親会の会費は500円です。8月25日までに玄関内掲示板の出欠欄に参加・欠席を書き込んでいただくよう、よろしくお願いいたします。
管理会社
文章の用途にもよりますが、実用的な目的であれば、文章は長くし過ぎない方が無難です。また、この文章では「マンション」「草刈り」「懇親会」という言葉が繰り返し使われて、少し文章が重たい感があります。もし、省ける部分があるなら、そうした方が良いのですが、ここでは伝わりやすさを優先して、あえて繰り返しそれらの言葉を使っています。
小説やエッセイなど娯楽の文章であれば、短い文章を続けるだけでなく、長い文章を混ぜながら、全体に抑揚をつけることもあるでしょう。しかし、単純に伝えるだけの実用的な文章であれば、適度に区切る方が良いと思います。特に論文などでは正確に伝えることが求められるため、文章は短く区切るようにします。
接続詞を乱用しない
「そして」「そのため」「だから」など接続詞は文章を構成する上で、とても便利な存在です。しかし、乱用すると読みにくい文章になってしまいます。
僕も何も考えずに文章を書くと、つい接続詞が多くなり、削ることがよくあります。
そのような文章を見直すと、意外に接続詞がなくても済む場合も多いです。
下線部が接続詞です。これを直すと、次のようになります。
3つあった接続詞のうち、2つはそのままなくしても問題なく、1つは文章をつなげることで取り除きました。
接続詞はどうしても必要な時に使うのは良いですが、乱用すると滑らかな文章には感じません。特に「しかし」や「そして」を連続して使うと、稚拙な文章に感じられます。
そのような時は、取り除いても問題がないか、あるいは文章をつなぐなどして、自然な感じにならないか試してみましょう。
同じ末尾や言い回しを繰り返さない
同じ用語を繰り返すと、その文章はなぜか重たい感じがします。例えば「思いました」という言葉であれば「感じました」「考えました」などその都度、表現を変えます。それでも「ました」が続くと重い感じがしますので、なんとか工夫して語尾に変化を付けるようにします。例えば日記で次のように書いたとします。
全て日記なので過去の出来事には違いないのですが、文章を上手くつなげることで、内容を変えずに、文体の単調さを減らすことができます。
言い回しを変えたり、文章をつなげることで、重たい感じが減ります。前述のように、文章が長くなると、伝わりにくくなることがありますので、そのあたりに留意しながら、文章を整えます。
とは言っても、なかなか別の言い回しがない時もあり、そのような時は僕も頭を悩ませます。例えば、人に話を聞いた時の描写はどうしても「言いました」という言葉が増えます。
このように長い言葉を文章にする時など、その表現に困ります。様々な方法がありますが、聞いた言葉を一括りにする方法もあります。
「この辺は昔、家なんて数えるほどしかなくて、川には魚もいてよく捕まえて遊んだものでした。戦争が終わって、ここらへんは空襲もなかったものだから、疎開していた人々がここで新しい生活を始めました。それから人が増えて、開発が進みましたが、そのかわり、もとの土地の綺麗な風景はなくなりました」
僕はあたりを見回しました。老婆が言うような原風景は確かに消えて無くなっていたのです。
その他にも、言葉を受け取った側からの視点で文章に表すこともできます。イメージしにくいかもしれませんが、次のような形です。
僕はあたりを見回しました。老婆が言うような原風景は確かに消えて無くなっていました。
相手の発した言葉として表現するなら、それは基本的に原型に忠実で、口語調でなくてはいけません。しかし、受け取った側の立場になると、その人の解釈や要約ですみます。お気付きと思いますが、表現の仕方を変えることで、細かい部分の描写を調整しています。
ある表現では気にならなかったことが、別の表現に変えることで、冗長になったり、同じ言葉の繰り返しが目立つようになったりするからです。
このように、同じ言葉を繰り返さない、末尾に変化をつけるということは、滑らかな文章に繋がります。単語を変えたり、文章をつなげたりすることで調整しますが、それが難しい場合には、例のように全体の表現を大幅に変えることもあります。
この記事でも推敲(読み直し)の時に直した部分が多くあります。
「大切」という言葉が短い間隔で2つあることに気付き、片方を「重要」という言い回しに変えました。
少し直すだけでも印象が変わります。ひとつひとつは気にならなくても、それが多くなると文章に読みにくさや違和感を感じさせます。書いている時点では気付かないことも多く、推敲をすることが大切です。
まとめ
文章を書く上で、読みやすくするためのポイントをお伝えしました。これが全てではありませんが、今回のポイントを心掛けるだけでも読みやすさははっきり向上すると思います。
文章はコミニュケーションです。それが表現が未熟なばかりに読んでもらえない、なんてことがないように、今回のポイントを生かしてもらえると幸いです。
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