(表題写真:山田勇男撮影)
健在の千秋みつるさんに取材を始めたのが2021年1月。そこから出版まで5年余りにわたった取材記録をシリーズ記事としてお伝えします。編集上で割愛されたエピソードも加えて、作品世界をより深く感じていただければ嬉しく思います。
今回がこのシリーズ記事の最終回です。
2026年5月25日。白い雲と青空が半々ほどで、薄い長袖を着ていると、ほんのり暑さを感じるくらいの初夏を思わせる日だった。東京駅から東北新幹線でおよそ50分、宇都宮駅で降りると、改札口で小野佳余子さんが待っていてくれた。
小野さんは栃木県で、千秋さんの身の回りの世話をしている1人で、月に1回のシャンパーニュの公演の際には、無償で送迎をしている。2024年10月に千秋さんは宇都宮市から真岡市に引っ越した。真岡の部屋は最寄りの公共交通機関(真岡鐵道 真岡駅)の便が悪く、小野さんが宇都宮駅から車での送迎を進んで買って出てくれた。
遠く真岡を訪れたのは、28日に発売される『シャンソンとタカラヅカの時代 深緑夏代と千秋みつるが奏でた歌物語』(青弓社刊)を届けるためだった。
駅前の駐車場に移動し小野さんのワゴンに乗り込んだ。
JR宇都宮駅に来たのは、木南麻浦さんを千秋さんの家に案内して以来だった(♯4「千秋さんの友達」)。あの時、千秋さんはまだ宇都宮の部屋に住んでいた。駐車場を出発し駅前の市街地を抜けると、窓から見える景色が、マンションやビル群から徐々に一軒家や田園が並ぶものに変わっていった。周りに山々や高い建造物がなくなり、空の青さが広くまぶしく思えた。
真岡市に移ってから、千秋さんの部屋を訪れるのはこれが初めてだった。もとの宇都宮の部屋を千秋さんはあまり好んでいなかった。今回の部屋は引越しをする際、小野さんが地元の人に相談しながら、3件の候補を絞り、その中から千秋さんが選んだ部屋だという。
出発して1時間足らず。静かな住宅街の中に、ひときわ目立つ広い駐車場があり、小野さんの車が停まった。降りると目の前に2階建て8部屋のコーポが建っていた。聞くと、もうすぐ築40年に差し掛かるという。そこまで古いとは感じさせなかったが、角張った長方形という印象の外観で、無駄な美的要素を極力削ぎ落としたようだった。そこにおしゃれな感じはまったくしなかった。
駐車場の反対側に玄関があるのだが、いつも駐車場に面した縁側の方から部屋に入るという。
縁側の扉は暑さのためか、少し網戸部分を開いていた。声をかけると「はーい」という声がして、千秋さんが中に迎い入れてくれた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
中に入って一目みて思ったのは、色彩があるということだった。台所からの小さな窓からは日差しが入り、壁には花輪が飾られて、棚にはカラフルな食器が並んでいた。決して広くないが、明るい雰囲気で、千秋さんの感性が部屋に反映されているように思えた。それを見て、日々の葛藤は避けられなくても、穏やかに暮らしているのだなと感じた。


向かい合って座ると、さっそく本の入った封筒を差し出した。
千秋さんは受け取ると、封筒を黙って見つめていた。そして封筒のまま、額にあててしばらく動かなかった。そして本を取り出すと、静かに笑みを浮かべた。「間に合ったと言いますか……」それが第一声だったと思う。
私も千秋さんも派手に感情を出すことなく、涙を流すこともなく、静かなものだった。過ぎたここまでの月日を噛み締めているようだった。こういう場に言葉は無粋なのだとあらためて感じた。
小野さんがケーキを買ってきてくれて、3人で祝杯をあげた。
2021年に千秋さんと出会って、彼女(と姉・深緑夏代さん)の人生を追った旅は、この祝杯でひとまず終わりを告げた。
千秋さんには親しい人にプレゼントできるように本を何冊か渡したが、「プレゼントはあまりしたくないです。私は売るのは得意でないけど、販売してそのお金をあなたに渡したいです」と言った。これが終わりではなく、なにか自分のできることで人の役に立ちたいという、そのような意思、生命力がしっかりと生きているようだった。
2時間ほど話した後、お部屋を失礼して、小野さんの車で宇都宮駅にまた送ってもらった。
千秋さんは縁側の窓から見えなくなるまで手を振っていた。
今、千秋さんの身の回りには小野さんの他にも、気にかけて世話をしてくれる人が何人かいる。前日も「明日、先生が来るんだろう?」といって、地元の男性が部屋の掃除を手伝ってくれたという。
出版後、声を寄せてくれた人の中には、千秋さんのずっと昔からの知人、友人もたくさんいた。そこには私の全く知らない関係もあり、全く知らなかったことをいくつも教えてもらった。人間の人生というのは、私の想像できるよりもはるかに多くの人間と関わるものなのだと感じた。
書籍というのは著者の視点により世界を切り取る作業である。また削ぎ落とす作業ともいえる。千秋さんの96年の人生の全てを書籍に書き出すことはおよそ不可能であっただろう。
深緑夏代さんについても、宝塚出身卒業生のインタビューを掲載することはできたが、教え子は宝塚にもそれ以外にもたくさんいる。どこまで実情に迫れたのかわからない。

千秋さんは私と電話をすると「本のことだけが気がかりだ」と度々言っていた。しかし、人生はまだ続いていく。
この先にどのようなことが待っているのか、未来のことは誰にもわからない。書籍を執筆するための取材は終わったが、存外に、この後の人生の方がより鮮烈に千秋みつるという存在を感じるのかもしれない。
静かな住宅街、田園地帯、郊外の自動車専用道路、宇都宮駅近辺の市街地と、もとの風景に戻ると、千秋さんと会ったわずかな時間もなんだか夢のように思えてきた。
これで千秋さん、深緑さんの人生をたどる旅は、ひとまず終わりを告げた。「アンコール」と表現をしたこのシリーズ記事もこれが最後である。
でも、旅の終わりは新しい旅の始まりともいえる。もしかしたら、私と千秋さんとの旅路は第1章を終えて、第2章が始まっただけなのかもしれない。
千秋さんの人生がこれからも、誰かとの「小さな交差」「旅」に満ちることを願っている。




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