健在の千秋みつるさんに取材を始めたのが2021年1月。そこから出版まで5年余りにわたった取材記録をシリーズ記事としてお伝えします。編集上で割愛されたエピソードも加えて、作品世界をより深く感じていただければ嬉しく思います。
さびれた道と老歌手

東武宇都宮線のある駅で下り、人通りの少ない路地を歩いてアパートを目指すのが私の決まった道だった。駅前はデイサービスセンター、小さなスーパーにパチンコ屋と数店の飲食店があったが、シャッターが閉まって営業しているのか分からない店舗も多かった。足下のコンクリートにはひび割れがいたるところに入り、店先でもその隙間から雑草が伸びていた。
アパートは木造2階建てで、1階に2戸あるうちの奥が目的の部屋だった。築50年近いようで、かつての女優が住んでいるとは思えない侘しい外観だった。ところどころ錆びて一部が歪んだ郵便受けには「多田充(千秋みつる)」と書かれていた。チャイムを押すと、ゆっくりした足音が聞こえてドアが少し開いた。
「よくいらっしゃいました」
部屋は2DKで、手前が台所、中間が洋間、一番向こうが和室と三間が奥に向けて並んだ形だった。中間の洋間にベッドや設置式クローゼットを置いて寝室として使い、奥の和室にテーブルや椅子を置いて居間として使用していた。
くすんだ壁に、時代を感じさせる型板ガラス、トイレのドアはきしむような音を立てた。部屋の老朽化は隠しようもなかったが、さらに、この部屋はなぜか洗濯機が風呂の浴槽の中に入っていた。初めてそれを見たときに言葉が出なかったが、彼女はただ「冬でもお風呂には入れなくて困る」とだけ言った。
90代半ばの千秋さんは手すりだけでなく、テーブル、柱、様々なものに器用につかまりながら歩く。その丸まった背中を見ながら私は奥に付いていった。テーブルに古いリクライニングチェア、収納棚やテレビが配置されて、その空いた場所に楽譜、CD、書類が置かれた狭い空間が千秋さんの居間だった。
建物の古さは隠しようもなかったが、そんな中でもたいてい部屋には花がどこかに飾られていた。
「コンサートでもらったのよ、きれいでしょう?」
部屋を訪ねたときの千秋さんはいつも穏やかな笑顔だった。
千秋みつるさんとの出会い

私が千秋さんに接したきっかけは、かつて所属した宝塚歌劇団と戦争の関わりについて話を聞きたいからだった。前著『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』(国書刊行会)の原稿を書き終えた私は、次作の準備を進めていて、それも戦前の宝塚歌劇団が絡む内容だった。
千秋さんは1942年に宝塚音楽舞踊学校に入学し、1年学校で勉強した後に、学徒動員で軍需工場の作業に従事している。彼女とはじめて話したのは2021年1月だったが、その時点ですでに戦時下の宝塚について知る人は多くがこの世を去るか、存命でも証言をするのが難しくなっていた。コンタクトを取れたのは共通の知人である山梨牧子さんの紹介だった。
はじめて電話で話をしたときの衝撃は忘れられない。千秋さんが話したのは、私が書籍や過去の雑誌でしか触れることができなかった戦時中の宝塚の様子であった。それが生き生きと、目の前に風景が映し出されるように語られた。彼女の記憶にしか残っていないかもしれない人間や出来事が次々に現れて、夢中で電話越しにメモを走らせた。
気が付くと、それから1週間に1度電話で話すことが続いていた。当時、私の勤務先が木曜休みだったので、以来、木曜日が自然に約束の日となった。それは繋がらないことも途切れることもあったが今日まで続いている。
千秋さんは宝塚歌劇団を初舞台(終戦後)から5年後の1950年に退団している。宝塚時代の話がひと通りすむと、その後に歩んだ映画界、そしてテレビ女優時代へと移り、友人のこと、シャンソンのこと、プライベートのことへと話題は多岐に広がっていった。
姉の深緑夏代は至るところで話に登場した。そして、その最期の姿の証言は、宝塚、シャンソンの世界で名を残した彼女からは想像もつかないものだった。
実際にはじめて顔を合わせたのは、最初の電話から約5ヵ月後の2021年6月10日。今も営業を続ける老舗シャンソニエの新宿シャンパーニュでのライブだった。紹介者の山梨牧子さんと、同じく千秋さんと以前から交流を持つ映画監督の山田勇男さんに連れられてのものだった。
91歳だった千秋さんの動きは今よりだいぶしっかりしていて、ステージに移動するのに手を引かれることも、ものを伝うこともなかった。
孫ほど離れているだろう、エスコート役の男性と目を合わせると悪戯っぽく微笑みを浮かべてマイクを受け取り、一呼吸置くと、その沈み込むような深い低音を舞台に轟かせた。
コンサートが終わると、千秋さんは衣裳姿のまま、私たちの前に現れた。
「歌を聴いてどう思いましたか? 遠慮なく思ったことを話してください」
正直なところ、私の中には感想といえるほどのものは生まれていなかった。山梨さんと山田監督は千秋さんの歌を絶賛していて、コンサートでは涙を流す客もあるという。しかし、私にはそのような押し寄せてくる感情の動きはなく、この時、何を答えたかも覚えていない。それは心の中から話した言葉ではなかったからだろう。
その日の曲目も覚えてないくらいなのだが、今もふたつはっきり覚えていることがある。ひとつはエスコート役からマイクを受け取った時、オーバーに目を見開いて、悪戯っぽく笑った、その表情である。まだ5年前にはコンサートで見せていた、千秋さんの躍動だった。
もうひとつは、記念に2人で写真を撮ることになり、千秋さんが身体をぴたりと寄せて腕を絡みつけたことだった。女性とあまり腕を組んだことのない私は、心の垣根がまるでないように近づき、それを自然に事実として流してしまうことに驚いた。
いずれもどこか不敵で、芸の世界での立ち振る舞いと、大人の女性の懐の広さを感じさせるものだった。
その日は同じホテルに部屋をとってもらい、翌日に2人で湘南新宿ラインを使って、住居のある栃木県に向かった。グリーン車に慣れない私に乗り方を説明して、駅からはタクシーを使って、当時、住んでいた上三川町のお宅にお邪魔した。
それ以来、週1回の電話に加えて、東京方面に用事があると千秋さんのお宅を訪問して話を聞かせてもらうようになった。上三川町から宇都宮市に引っ越すと、駅から徒歩圏内になったので、さらに足を運びやすくなった。
大阪では年に1回、深緑夏代さんの教え子たちが追悼公演(『レ・ザンファン』)を開いていたが、千秋さんは毎年それに出演していた。その際は公演を観るだけでなく、一緒のホテルに泊まり、夜に話を聞かせてもらった。本の執筆が進んでくると、楽屋に招いてくれて、関係者に紹介してくれるだけでなく、コンサート前の様子も見せてくれた。
それらの交流は年月を経て、書籍の完成という形で跡を残すことになる。
本のアンコールとして

取材を始めた2021年から現在の間には、社会に様々な出来事が起きた。
当初、コロナは猛威を振るっている最中であったし、その後、ロシアのウクライナ侵攻もあった。2025年には日本にはじめて女性の総理大臣が誕生した。世界がこれから不可逆の流れに進むかもしれない、そんな変化の前に対峙しているように見えた。
そして、90代半ばに差し掛かった千秋さんにも、心身に様々な変化がおとずれた。衰えは避けられず、千秋さんはその無情さに時に抗い、時に受け入れながら、日々を歩んでいた。
5年にわたる交流の中で、千秋さんとはたくさんの話をして、様々な姿を見せてもらった。会話の中で、感謝の言葉を口にすることも多かったが、内面の苦悩や消化しきれない感情を吐露することも多かった。衰えから生まれる現実とのギャップにもがいている姿もよく見てきた。多くの矛盾もあるけれど、それは歌手として舞台に上がる彼女とは別の1人の人間らしい姿だった。
千秋さんのそのような姿は、私が書籍で最も表現したいテーマのひとつだった。しかし、深緑さんと合わせて2人の人生を記録するという内容上、千秋さんの現在の状況や心理描写にだけ多くのページを割くのは、本の全体的なバランスを損なう恐れがあった。
さらに400字詰め原稿用紙1000枚ほどあった初稿は、諸般の理由により約半分まで削ることになった。そのような余白的なテーマにページを割くことはますます難しくなった。
これから数回にわたって書く取材記は、私から見た千秋さんの5年間の姿、記事では削らざるを得なかったエピソードなどを紹介するものである。書籍では表現しきれなかった、千秋みつるという人間がより深く伝わり、そして彼女が生きた時代の空気や、姉・深緑夏代のこと、当時を一緒に生きた人々に思いを馳せてもらえれば、それは私にとって大きな喜びである。
『タカラヅカとシャンソンの時代』のプロローグでは、これから始まる物語をシャンソンの曲になぞらえて「開演はまもなくである」と書いた。だとすれば、これから書くものはアンコールといえるかもしれない。
よろしければあともう少し、一曲のシャンソンのようなこの世界にお付き合い願いたい。
【深緑夏代】
1921年京城(現在の大韓民国ソウル特別市)出身。
多田毅三・展夫妻の長子として生まれる。千秋みつるは妹。対馬高等女学校に1年在籍の後、宝塚音楽歌劇学校に入学。1936年初舞台。戦後、越路吹雪とのコンビが人気となり、終戦直後の宝塚歌劇を支える原動力となった。退団後はシャンソン歌手に転向。確かな歌唱力で評価を得る一方、講師としても稀有な才能を発揮し、宝塚歌劇団、カルチャースクールなどで講師を担い、教え子から多くの歌手を輩出した。主な教え子に榛名由梨、風さやか、鳳蘭、安奈淳、大原ますみ、萬あきらなど。教えた生徒は1万人以上とされる。1992年芸術祭賞、1994年勲四等瑞宝章、2014年「宝塚歌劇の殿堂」の顕彰者に選出。






コメントを残す